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2013年2月 1日 (金)

『桜並木の満開の下に』の「映画的」魅力

映画をホメるのに、実に「映画的」なショットだ、などと言う言葉がある。もちろん、映画を「映画的」と言うのは同義反復で意味をなさない。それをわかったうえで、どうしてもそうと言いたくなる瞬間がある。4月13日に公開される船橋淳監督の『桜並木の満開の下に』を見ながら、そんなことを考えた。

他人は知らないが、私にとっての「映画的」というのは、映画ならではの、映画にしかできない場面作りという感じだろうか。そこには、それまでに見たいくつもの映画(まさに「映画的」記憶)も見え隠れしているかもしれない。

この映画では、冒頭に「木村製作所」という小さな工場で働く人々が写った瞬間からいい感じだ。狭い空間で、小さな部品を作る人々。その手先のアップ。そして咲く直前の桜のアップ。海のショット。

物語は、突然の事故で同僚の夫を亡くした女性、栞(臼田あさ美)のその後を描く。木村製作所は、大手企業の発注で何とか生き延びているが、その栞の夫の事故はその大手企業内で起こる。事故の直接の加害者は、木村製作所から派遣されていた工(=たくみ、三浦貴大)で、事故後も栞と工は工場に残る。

映画はこの2人の間の微妙な愛憎の展開を描く。工が栞に旋盤を教える時の手のクロース・アップや、栞がバイクで工を乗せて走る時の揺れるカメラ、そして駅や列車の佇まい。この2人が行きつ戻りつして、最後の最後までどうなるのかわからないサスペンス感覚もいい。

見終わってどこかもどかしさを感じるのは、設定に少し無理があったのではないかということだ。被害者と加害者の問題に加えて恋愛の機微があり、小さな町工場とグローバル資本主義の対立があり、さらに震災後の復興がある。あるいは中国人労働者問題などもある。要素を詰め込み過ぎのうえに、物語の展開も、同僚の暴力などちょっとついていけない部分もある。

それでもこの作品は映画を見る楽しみに満ちている。黄色がかった光に写された工場や駅や旅館などのフィルムノワール的雰囲気は、まるでラース・フォン・トリヤーの第一回長編『エレメント・オブ・クライム』のようだ。前作『フタバから遠く離れて』にも同じような見る快楽を感じたが、今回はそれがグレードアップして、映画は生きることの根源を照らし出す。

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