ナントカ映像祭よりウィアゼムスキー
私は今は大学で映画史を教えているが、長い間美術に関わってきた。だから現代美術の分野で「映像」が出てくると普通に考えれば関心が向かうはずだが、これが実は逆になる。「なんだこの程度の映像は、映画史を見たらいくらでもある」と思ってしまうからだろう。
今日から東京都写真美術館で開催される「恵比寿映像祭」の内覧会に行ってきたが、やはり今年もダメだった。今年のテーマは「PUBLIC⇆DIARY」。いつもながらワケがわからない、学芸員にありがちのスノッブな題名。
展示内容もスノッブそのもの。冒頭に雑誌「TIME」の表紙をコマ撮りして次々に見せる映像を見た時、ダメだと思った。そして次に戦時中の「写真週報」を並べる感覚。次はユーチューブの小さな画面が無数に並ぶスクリーン。そして荒木経惟の写真が出てきた時は、笑ってしまった。
この思いつきレベルのスノッブな感覚は、東京都現代美術館で最近見た「アートと音楽 新たな共感覚をもとめて」にかなり近い。カンディンスキーやクレー(の国内の小品)に加えて武満徹の楽譜が出てきた時の嫌な感じ。
あえて言えば、宮永享のコラージュされた風景の映像や、ベン・リヴァースの4つの画面からなる廃墟の風景が、興味深かった。
家に帰ると、フランスに注文していたアンヌ・ウィアゼムスキーの写真集「Photographies」が届いていた。60年代後半にゴダールと結婚して彼の映画に出ていた女優だが、最近は邦訳もされた『少女』など小説家として知られている。
この写真集は、彼女がゴダールといた頃に撮った自分で撮った写真を最近見つけ出して集めたもの。これがプロとアマの中間のような感じで、なんともいい。「1967年の春、『中国女』の出演料で私はペンタックスのカメラと50ミリと150ミリのレンズを買った」から始まる短い文章が、写真の横に書かれている。
ナントカ映像祭のことは忘れて、この写真集に没頭してしまった。これについては後日きちんと書く(と書いたのに、書かないことが多いと友人に指摘されたが)。
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