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2013年2月28日 (木)

わざと退屈な映画を作るレオス・カラックス

4月6日公開のレオス・カラックス監督『ホーリー・モーターズ』を見た。実は去年のパリで一度見ていたが、みんなが素晴らしいというので、そうだったっけ、ともう一度見る気になった。これが何と、先日ここで取りあげたクローネンバーグ監督の『コズモポリス』と瓜二つだ。

どちらも白のリムジンに乗る男のシュールな1日を描く。カラックスもクローネンバーグも80年代から90年代にかけての活躍に比べると、今はちょっと冴えない感じだが、そんな2人が「わざと退屈な映画」を作ろうとしたかのようだ。

同じハチャメチャな内容でも、クローネンバーグが現在の最先端や未来の映像を作ろうとしたのに比べて、『ホーリー・モーターズ』にはノスタルジックで甘美さが漂う。

時おり挟み込まれるエチエンヌ=ジュール・マレイの映像がいい。映画前史に登場するこの生理学者は、人間や動物や虫の動きの連続撮影に成功し、とりわけ男性の裸を写すことに執心した。その膨大な映像はシネマテークから数年前にDVDが出たが、その少年や男の裸の悲しさが、この映画の主人公オスカーを演じるドニ・ラヴァンの裸体と呼応する。

オスカーはパリの街を歩き、あちこちでいろいろな人物を演じる。セーヌ川の橋の下で物乞い女をやったり、映画『TOKYO!』と同じくメルドとして、花を食べて人を襲ったり、高級ホテル「ラファエロ」で死にゆく老人を演じたり。

中でも秀逸なのはミシェル・ピコリが車の中に現れて、「美しさは見る者の瞳の中にある」とか言う場面。そして廃墟となったサマリテーヌ百貨店の中に昔の恋人と入り、ゆっくりとアール・ヌーヴォーの装飾の階段を上り、屋上で恋人が歌いだす場面。あるいはラストのいくつものリムジンが揃って車庫に戻る場面。

そこには映画史があり、映画を作ることの楽しさと悲しさが詰まっている。そういえば、冒頭で満員の観客が出てきてカラックスが現れた時、ゴダールを思い出した。音楽の入る瞬間もゴダールに近い。甘美な退屈さに満ちた、語の正しい意味での退廃的な映画である。

そういえばこの映画が『カイエ・デュ・シネマ』誌の1位で、2位が『コズモポリス』だった。その上2本とも去年のカンヌのコンペだし。日本での公開は『コズモポリス』が一週間遅れ。この一致には何かある気がする。

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