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2013年2月19日 (火)

『ペタルダンス』の「うまさ」

テレビCMを作っていた人が作った映画には、私は勝手な偏見がある。市川準や中島哲也がそうだが、共通点は「うますぎる」というものだ。4月20日公開の『ペタルダンス』を撮った石川寛監督もまたその系譜に連なる。

私は話題になった『tokyo.sora』も、『好きだ、』も見ていない。今回初めて『ペタルダンス』を見て、やはり「うますぎる」と思った。その「うまさ」は、中島哲也のように映像技術を駆使するタイプではなく、岩井俊二に連なるようなちょっとナルシスティックな映像美だ。

物語らしい物語はない。ジンコは図書館に勤めており、そこで自殺の本を探していた若い女性の原木と出会う。ジンコは大学の友人の素子と一緒に、6年も会っていないミキが入院していると聞いて、そのお見舞いに行こうと思い立つ。素子の元夫から車を借りて、運転を申し出たのは原木。女3人のロードムービーが始まり、病院にいたミキも加わる。

映画はその4人の若い娘たちのとまどいや心の揺れを、丹念に見せる。ある種、つぶやきの連なりのような映像が続く。女性2人が話している背景にグライダーがいい感じで写り込んだり。冒頭のジンコが男性と話すうら寂しい場所に始まって、海辺のラーメン屋や女3人が泊まる旅館も、4人で行く海岸も、すべての舞台が丁寧に選び取られている。

セリフも「はっしょったね」に始まって、「さよならば」という言葉の説明とか、海岸で女たちがつぶやく「私は曲がっています」とか「私は濁っているかな」とか、何とも余韻がある。

たぶん、20代の女性特有の愁いのようなものが繊細に表現されているのだろう。「だろう」と書いたのは、こちらはオジサンのせいか、あまりそれがピンと来なかったから。あるいは、ジンコ=宮崎あおい、素子=安藤サクラ、原木=忽那汐里、ミキ=吹石一恵の4人があまりにも美人すぎで、かつお洒落すぎに見えたからかもしれない。安藤サクラだけが、離婚経験者らしいある種の倦怠感を漂わせて、リアルだったが。

たぶん今の若い人が見ると、共感するところが多いのではないか。これも、昨日書いた『ゼロ・ダーク・サーティ』とは全く違う意味で、今後の映画の方向を示している気がする。映画館で見るのもいいが、何となく部屋の中で誰かと見たいような、普段の日常と連なるような映像だから。

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コメント

はじめまして。

いい映画だなと思った、思ったんですが、ものすごく感想の書きにくい作品でした。
たしかに、つぶやきの連なりのような映画でしたね。

特になにか盛り上がりがあるわけではないんだけど、ちょっとした言葉が印象的でした。
包帯巻いた指の隙間からみえる曇り空を、風に乗って飛んでいくグライダーが繰り返し使われてましたね・・・
倒れそうで倒れない斜めになってしまった木も、なんかそういうアイテムが個性的だったような気がします。
具体的な言葉や行動じゃなくて
空の色とかこの木とか・・・ほかのもので気持ちを表してた・・・かな。
すいません、感覚ではわかってても言葉にうまくできませんでした・・・。

投稿: Ageha | 2013年4月21日 (日) 22時47分

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