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2013年2月24日 (日)

『涙と花札』に読む韓国の「熱さ」

私は韓国に行ったことがないが、映画はたくさん見ている。最近の韓流スターはわからないけれど、80年代のイ・チャンホやペ・チャンホの監督作品を「スタジオ200」(!)で見ていた頃からだから、かなり付き合いは長い。

韓国映画をたくさん見ていると、いつもその「熱さ」に驚く。日本人と同じような顔をしていながら、感情表現が数倍烈しく、アクションもコテコテだ。遮二無二感動させられる気がする。というのが、私のおおざっぱな「偏見」。

映画の表現ではなく、実際の生活ではどうだろうかと思っていたところ、金惠京著の『涙と花札』を読む機会があった。副題は「韓流と日流のあいだで」。筆者はソウル生まれで明治大学に留学し、早稲田で博士号を取り、アメリカの大学で教えた後に、今は明大の助教という。

1975年生まれの彼女が、韓国と日本の違いを「偏見」なく語る。題名の「花札」というのは、韓国では葬式で参列者が花札をすることから来ている。「韓国では、葬儀場や病院の売店には必ず花札が置いてあり、それを子供が買いに行くのは務めのようなもの」という。

それは悲しみを紛らわすためらしい。花札でもしないと、韓国人は泣きすぎるから。花札は日本からきたもので、そのクッションは韓国特有の座布団だと柄が重なるので、朝鮮戦争時に米軍から払い下げられたアイロン用の台が広がった。

「定着した背景には、隣国である日本に植民地支配されたという鬱屈した思いや、永遠に続くと思われた喜びや豊かさが国際情勢によって奪われてゆく感覚、親兄弟や親戚との別離といった苦しさやささくれだった思いを何かで癒したい、一時でも忘れたいと願う気持ちを花札の射幸心が紛らわしてくれた面がある」

目から鱗だ。こうしたビックリがどんどん出てくるが、最終的なビックリは筆者の「熱い」生き方。要領よく生きようとせず、遠回りをしてでも愚直に筋を通す。それからもう一つ、家族、特に母親の「熱い」思いだ。博士号の審査に至るまであらゆる試験に同行し、会場の外で待つ。

あと、韓国では学校の先生は日本の何倍も尊敬されているというのが羨ましかった。いいなあ。

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