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2013年3月13日 (水)

梅本洋一さんが亡くなった

最近、面識があった80歳を越える大御所と、60歳前後の個人的にお世話になった人が、変わりばんこに亡くなる。美術作家の神山明さん(59)の次は、大島渚監督と高野悦子さんにドナルド・リチーさん。山口昌男さんの後に昨日亡くなったのが、映画評論家の梅本洋一さん(60歳)だった。

梅本さんの世代というのは、私にとってかなわない方々ばかりだった。大学時代に蓮實重彦氏や浅田彰氏の本を読んで映画や現代思想について書くことに憧れるが、しばらくすると、自分より少し上の世代の才人たちが、どんどん登場した。映画では松浦寿輝、四方田犬彦、武田潔、中条省平の各氏と並んで、梅本洋一氏がいた。みなさん30そこそこで、既に本を出されていた。中条さんのデビューは少し遅かったかもしれない。

なかでも破竹の勢いで本を出していたのが、梅本さんだった。80年代後半から90年代にかけて、ちょっとキザな文章で批評を書き、インタビューをこなし、翻訳を出していた。東京日仏学院では映画講座もやっていた。そしてあの「カイエ・デュ・シネマ」誌の日本版「カイエ・ジャポン」をフィルムアート社から出し、編集長になった。

私などが、将来やれたらいいなあとボンヤリ想像していたことを、目の前でたちどころに実現してみせた方だった。そのせいか、何となくつかず離れずというか、あまり親しくはならなかった。

それから私は会社員になった。梅本さんたちの世代の華麗な活動を見せつけられて、同じようなことをする勇気がなくなったからかもしれない。その後も何度も話す機会はあったけれど、いつも短い時間だった。

一度だけゆっくり話したことがあった。2007年の春、フランスの女性監督、パスカル・フェランを囲む夕食会の時だった。その頃、勤めていた新聞社で美術展や映画祭をやっていた部署から追い出された直後だった。「古賀くんもいい仕事をしてきたよね」とホメていただいだ。昔に比べて表情が穏やかで、達観した感じだった。

梅本さんとは、その後会っていない。私が大学で教えるようになったことをどう思われていただろうか。そういえば、松浦さんも四方田さんも大学で教えるのを辞めたらしい。私が遠回りをして大学にたどり着いた時には、あの世代はもう次の場所に行っている感じだ。

梅本さんの死因は虚血性心不全というが、NHKのラジオ番組の打ち上げで遅くまで飲んでいて、急に倒れて救急車で運ばれたらしい。とても他人事とは思えない。

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