« 『私にふさわしいホテル』に笑うが | トップページ | 『3人のアンヌ』の想起力 »

2013年3月15日 (金)

『嘆きのピエタ』の象徴性

6月公開のキム・ギドク監督の『嘆きのピエタ』を見た。前にここで書いたが、昨年のベネチアで途中まで見た映画だ。夜の上映で疲れていて1時間ほどで出てしまったが、後で聞くとその後に二転三転があったという。

そのうえ、ベネチアの金獅子賞まで取ってしまった。やはり映画は最後まで見ないといけないと、肝に銘じたものだ。

物語は30男の借金の取り立てから始まる。主人公は時代に取り残されたような小さな鉄工所に入ってゆき、強引に借金を取りたてる。金がないとわかると、機械に手を巻き込ませたりビルから突き落としたりしてして、相手を障害者にして保険金をねらう。

この乱暴な男の家に、ある時中年女性が現れて、母だと告げる。最初は男は信じず乱暴を働くが、だんだんと仲良くなってゆく。ベネチアでは私はここまでで見るのを止めたが、それから女がいなくなり、話が急展開する。

男は生きた鶏を持って歩き、鍋にぶち込んだり、女はビニール袋にウナギを入れて持ってきて家の前に置いたり。ウナギは水槽の中を泳いでいたかと思うと、女が焼いて男に食べさせようとする。ほかにも謎めいた象徴があちこちに散りばめられており、それが終盤の強烈な墓場のシーンやラストの車のシーンの象徴性につながる。

前に見た時は、暴力と象徴性が鼻についた。ところが終わりまで見ると、その象徴性が何とも甘美なものに見えてきた。そもそも大都会の中の忘れられたような町工場の集積地区という舞台自体が象徴的だ。そこに善と悪、人間と動物、母と子といった対立項をまき散らし、宗教や暴力の持つ強度を使いながら、映像の力でぐんぐん見せてゆく。

女が電話の向こうで子守唄を歌ったり、編み物をしていたり、男にご飯を食べさせたりと、細部もうまい。見ている時よりも、見終わって時間がたつとどんどん良くなる映画だと思った。象徴性を巧みに操るうまさはやはり鼻につくけれど。

|

« 『私にふさわしいホテル』に笑うが | トップページ | 『3人のアンヌ』の想起力 »

映画」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/537538/56958064

この記事へのトラックバック一覧です: 『嘆きのピエタ』の象徴性:

« 『私にふさわしいホテル』に笑うが | トップページ | 『3人のアンヌ』の想起力 »