« 『嘆きのピエタ』の象徴性 | トップページ | アイフォン5から江戸時代へ »

2013年3月16日 (土)

『3人のアンヌ』の想起力

ホン・サンスの映画は、一見何気ないように見えて、実は深い。見終わって、じわりと来る。6月15日公開の『3人のアンヌ』は、それがさらに進んだ感じだ。1本の映画が、私の中でいろいろなことを想起させた。

この映画は、イザベル・ユペールが3役を演じる。いずれもアンヌという名前で、モハンという韓国の小さな海辺に現れる。第一話は、ジーンズに青いシャツを着て有名な映画監督として。第二話は赤いワンピースを着て、浮気中の人妻として。第三話は緑のワンピースを着て、夫と離婚したばかりの女として。

出会う人々もほぼ同じ。映画監督ジョンスと妊娠中の嫉妬深い妻。ライフガードの明るい青年や貸しアパートのカギを渡す娘。同じネタが繰り返されるが、微妙に違う。

最初に思い出したのは、学生の頃、小津安二郎の戦後の作品をオールナイトで見た時のこと。原節子が見合いをしたり、あるいは母親役だったり、いつも笠智衆が出てきたりして、見終わって眩暈がした。まさに吉田喜重氏が小津の映画について語った「反復とずれ」。

それから、ロッセリーニ映画に出てくるイングリット・バーグマン。『ストロンボリ』『ヨーロッパ1951』『イタリア旅行』と物語は違うが、バーグマンが演じるのは、イタリアで違和感を感じる外国人だ。その違和感に苦しむバーグマンと違って、『3人のアンヌ』のユペールにはその違和感を楽しむような余裕があるが、フランス人が英語で話す時のある種の芝居じみた誇張があり、映画はその微妙な居心地の悪さを克明に描く。

もう一つは個人的なことだが、パリ時代に仲が良かったフランス人女性が日本に来た時を思い出した。とりわけ、彼女に一生懸命英語で話しかける友人たちとの奇妙なコミュニケーションを。そしてその女性の異常な高揚感と不思議な傲慢さを。

3話のうち、2つ目の物語は、愛人を待つアンヌのもとに愛人がやってくる瞬間が3回違うように描かれる。眩暈の極致。その眩暈の核に酒がある。どの挿話にもアンヌが焼酎を飲むシーンがあり、とりわけ第三話では海岸で焼酎の小瓶を5本も立て続けに飲む。

ワンシーン、ワンカットでズームを多用した、一見安易な演出の奥に、人間のコミュニケーションの謎が詰まっている。

|

« 『嘆きのピエタ』の象徴性 | トップページ | アイフォン5から江戸時代へ »

映画」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/537538/56964237

この記事へのトラックバック一覧です: 『3人のアンヌ』の想起力:

« 『嘆きのピエタ』の象徴性 | トップページ | アイフォン5から江戸時代へ »