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2013年4月30日 (火)

またまたイタリア映画祭:その(2)

それにしてもよく入っているイタリア映画祭。ある知り合いが、年齢層が以前より高くなっているのではないかと分析したが、その通りだと思う。2001年に始めた頃は20代、30代のイタリアに憧れる若い女性が多かった。それが13年たって、そのまま30代後半から50代になっているのではないか。

かつてイタリアやフランスは憧れの国だった。ファッションがあり、アートがあり、グルメがあるから。ところが今や南ヨーロッパは、EU経済のお荷物状態。特にイタリアの政治は、日本以上に無茶苦茶な印象を与える。

それでも、一度イタリア好きになると直らない。13年間全く変わらない、超マンネリ化したイタリア映画祭だからこそ、安心してみんな通い続けるのだろう。新しい若い観客は来なくても、朝日ホールは満員になる。

ところが見せる映画は、イタリアの現実を反映して厳しいものが、昔以上に多い。先日ここに書いた『綱渡り』がまさにそうだし、昨日見た『日常のはざま』も『来る日も来る日も』も、まともな仕事につけない貧困層を描く。

レオナルド・ディ・コスタンツォ監督の初めての劇映画『日常のはざま』は、ナポリ郊外の17歳の少年と15歳の少女を描く。少年は父親とカキ氷屋をやっているが、突然チンピラに屋台を奪われて、荒地にたつ廃屋に連れて来られる。そこにいる少女を監視しろという。

映画は2人の交流を描くが、彼らの表情の移り変わりを丹念に追うカメラや、飛行機の飛ぶ音や森の中の音を巧みに拾う録音がすばらしい。あるいは屋上から見る風景のインパクト。結局は2人ともマフィアの子分に操られる存在で、社会の隅々まで張り巡らされたマフィアの存在に、暗澹たる思いに駆られる。ラストのクレジットでカメラは名手ルカ・ビガッツィとわかり、納得。会場にいたある映画館の支配人が、「カメラの映画でしたね」と。

『来る日も来る日も』は、『見わたすかぎり人生』などのテンポのいいコメディで知られるパオロ・ヴィルズィ監督の新作。彼でさえも、今回の主人公は新貧困層だ。大学で文学を学んだらしいグイドはホテルの夜勤をし、同居する恋人のアントニアは、レンタカー店の勤務。

2人が子供を作ろうとするところから、さまざまな騒動が巻き起こるが、今回はこの監督のユーモアは空回りし、不愉快にさえ思えた。彼に貧困は描けない。最後に二人が結婚するハッピーエンドを持ってきて、さらに昔の出会いのシーンさえくっつけて、遮二無二盛り上げた感じ。この監督もピッチョーニ監督やソルディーニ監督と同じく、才能の盛りを過ぎたようだ。

実はこの映画にウンザリして、同じ建物の丸の内ピカデリーに『藁の楯』を見に行ったが、おもしろくてイタリア映画2本を忘れそうになった。『藁の楯』については後日書く。

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