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2013年4月21日 (日)

昔は文学青年だった

初めて文芸評を書いた。といってもいつも書いているWEBRONZAのエッセーだが、村上春樹の新作『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』をめぐる文章が昨日アップされた。最初は映画評を書くつもりで引き受けたWEBRONZAだが、編集者のTさんに乗せられて美術評、グルメ評に及び、とうとう文学を論じてしまった。

それも新作が100万部も売れる村上春樹。そのうえ、見出しは「何だか拍子抜けして、気持ち悪かった村上春樹の新作」(ちなみに私がつけたのではない)だから、まさに神をも恐れぬ行為である。

これから先は言い訳だが、村上春樹は昔から苦手だった。大学生の頃、大江健三郎や中上健次を愛読していた私は、村上の『風の歌を聞け』を読んで、「なんだこの豆腐野郎は」と中上風に怒鳴りたくなったことを覚えている。そのうえ、当時初めてつきあった女性が、村上春樹が好きだという理学部の学生になびきそうだったこともある。たぶんそちらの方が大きかったか。

考えてみたら、昔は文学青年だった。大学の文学部に入り、1年半後にはフランス文学専攻を選択した。無理してフロベールやプルーストを読んでいた。プルーストに至っては、2年生で原語で読もうとさえしていたから、身の程知らずも甚だしい。

大江や中上のほかには、古井由吉とか安岡章太郎とか後藤明生とか。その前だと埴谷雄高、安倍公房、石川淳、高橋和巳あたりか。高校生の時は北杜夫とか辻邦夫、遠藤周作、福永武彦などを読んでいたから、大学に入っての趣味には、明らかに最初は加藤周一、後に蓮實重彦や柄谷行人から浅田彰に至る評論家の影響が感じられる。

そんな頭の固い大学生だった私には、村上春樹も田中康夫も吉本ばななも悪い冗談にしかみえなかった。今では田中康夫はともかく、村上春樹や吉本ばななの方が、少なくとも大江健三郎よりもずっと読む気がするけど。

それから働き始めて、文学は遠ざかった。ノンフィクションとかエッセーばかり読んだ。あるいは研究者が一般向けに書いた新書や選書を山のように読んだ。小説を読むくらいなら、『徒然草』や『平家物語』のような古典がまだよかった。あるいは漱石や鴎外や荷風を読んだ。

そしてぐるりと回って、春樹の新作を出てすぐに読む自分がいる。しかし文芸評をやるくらなら、グルメ評の方がまだ今の自分にふさわしい気がしている。

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