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2013年4月29日 (月)

『リンカーン』の不思議な魅力

イタリア映画祭でいささか平板な映画を2本見たので、気分を変えようと同じマリオンの日劇で、スピルバーグの『リンカーン』を見た。前作『戦場の馬』で見た、西部劇の伝統を汲むようなアクションを期待していたが、全く違う作りだった。

冒頭で南北戦争の血なまぐさい戦闘場面が出てくるので、やはりと思ったが、それ以降は戦争はほとんど描かれない。代わりに中心となるのは、奴隷解放の法案を通すためのリンカーンを中心とした政治家たちの権謀術策だ。

例の「人民の人民による」というリンカーンの有名な演説さえもない。あるいは終盤、リンカーンが観劇中に殺される場面さえ写さない。あくまで議会や執務室で議論ばかりする政治家たちを、とりわけその言葉を描く。そのうえ、登場人物が多すぎて、なかなか覚えられない。

前半はその議論の内容がよく理解できず、敵か味方かもわからないような政治家たちの群像にいささか当惑した。ところが中盤くらいから、その政治家たちの個性がだんだんとくっきりと浮かび上がり、法案成立へ向けての緊迫した迫力を味わった。

リンカーンを演じるダニエル・デイ=ルイスが、ほとんど歴史上のリンカーンにダブって見える。威張らず、普通の人間のような振る舞いやユーモアを好むが、理想を掲げていざという時には全力で人々を説得して回る。そして彼のそばにいて落ち着いた判断を下す、国務長官役のデヴィッド・ストラザーンがいい味を見せる。

そのほか、リンカーンを支持する政治家スティーブンス役のトミー・リー・ジョーンズの怪演がおかしい。あるいは重鎮役のハル・ホルフブルックの圧倒的存在感。裏で票集めをするロビイスト役のジェームズ・スぺイダーも出てくるたびに嬉しくなる。

『国民の創生』や『若き日のリンカーン』といったリンカーンを描いた古典にあったアクションを封じて、あくまで室内の政治劇にし、アメリカという国の根幹にある自由や平等という概念にそのまま迫ったような大いなる野心作だと思う。その意味では、サリー・フィールド演じる妻や子供たちの場面は多すぎるような気がした。スピルバーグ得意の家族の問題ではあるが。

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