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2013年4月 3日 (水)

『パパの木』の新しさ

私の知る限り、フランス人はヨーロッパで一番英語がヘタだ。この点はアジアにおける日本人に似ている。本人は英語を話しているつもりでも、アクセントが強すぎてまず英語には聞こえない。だから映画でもフランス人が英語を話すと落ち着かない。

5月公開の『パパの木』は、オーストラリアを舞台にシャルロット・ゲンズブールが全編英語を話す映画だ。そのうえ、監督もフランス女性のジュリー・ベルトゥッチェリ。

この映画が普通のフランス映画と違うのは、言葉ばかりではない。オーストラリアの大自然が主人公とも言える内容で、とりわけ大きな木の持つアニミズムを描いている。イタリアのタヴィアーニ兄弟やスペインのビクトル・エリセを例に引くまでもなく、イタリアやスペインの映画はこの種の自然崇拝が得意だが、フランス映画はあくまで人間が中心になる。

その意味ではかなり異色のフランス映画だが、なかなかの力作。物語は、夫の死後4人の子供を抱えて生きる母親ドーン(ゲンズブール)を中心に展開する。ドーンは初めて仕事を探して、その雇主と仲良くなり、高校生の長男は父の友人の会社で仕事を始めるが、末娘シモーンは家の前にある巨木に父の身代わりのように執着する。

この映画が成功しているのは、まず本当に怪物のような大きな木を見つけて、その横の大きな家を舞台にしたことだ。家の中に入ってくるコウモリやカエル、あるいは木から一斉に飛び立つ鳥たちなど、動物たちを巧みに映画に取り込んでいるのもうまい。最後に訪れる嵐もかなりの迫力だ。

それでも個人的にどこか腑に落ちないのは、シャルロット・ゲンズブールの存在そのものかもしれない。相変わらず『なまいきシャルロット』の頃のように口をとがらせているので、亡くなった夫や子供たちに対する迫真の演技もどこか気になる。『アンチ・クライスト』のような極端な役柄にはぴったりだが、こうした正面から愛情表現をする役はどうだろうか。だからラストシーンの彼女のセリフは、私には勝手すぎるように思えた。彼女らしいとも言えるけど。

ある意味では国籍を超えた新しい映画で、今後はこうした映画が増えるに違いない。

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