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2013年4月15日 (月)

軽井沢で読む村上春樹の新作

私は村上春樹の熱心な読者ではない。彼の本は3分の2くらいは読んだけど、多くは文庫になってから。今回の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を出てすぐに読んだのは、友人が買ったものがどういうわけか回ってきたからだ。

ちょうど勤務先の大学で新入生の軽井沢合宿という時代錯誤的なイベントがあったので、持って行くことにした。彼の小説は昔から読みやすいから。今回もするする読み終えた。

読後の第一の印象は、「オーソドックスな青春小説」。前作『1Q84』の新興宗教のような時代の刻印がない。場所だって日本でなくてもどこでもいい感じ。誰にもあるような(そして実際にはない)若き青春の日々への愛憎とそれを乗り越えるイニシエーションを抒情溢れる文章でつづる。

主人公の多崎つくるは36歳で、沙羅という2つ上の女性とつきあっている。高校時代にはアカ、アオ、シロ、クロと呼ぶ4人の男女とグループを組んでいた。多崎以外には名前に色があった。20歳の時に突然彼らから絶交を言い渡される。そのトラウマを抱えながら生きる多崎は、沙羅から彼らをもう一度訪ねるよう勧められる。

4人のその後の歩みと現在は、何とも人生の痛みに満ちたものだ。例によっていかにもありそうで、なさそうで。そして思いもかけずフィンランドに行くことで、彼の「巡礼の年」は終わる。

隠された過去が解き明かされ、時の歩みという残酷さが露呈するまでのサスペンスを、気恥ずかしくなりそうなリリシズムで綴る。そして村上らしい箴言が挟み込まれる。

「人と人との結びつきなのだ。受け取るものがあれば、差し出すものがなくてはならない」「事実というのは砂に埋もれた都市のようなものだ」「人の心と人の心は調和だけで結びついたものではない。それはむしろ傷と傷によって深く結びついているのだ」

リストの「ル・マル・デュ・ペイ」を始めとして、時おりクラシックの題名が触れられる。かつての私はそんなスノビズムは苦手だったが、今回この小説を読みながらそれもいいかなと思った。

最近『何者』や『私にふさわしいホテル』、『abさんご』のようなぶっ飛んだ小説ばかり読んでいたので、この小説は何とも古めかしい心地よさがあった。あからさまに「普遍性」をめざす村上への本質的な疑問は残ったけれど。

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