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2013年4月16日 (火)

リチーさんのこと

今年の2月にドナルド・リチーさんが88歳で亡くなった。日本映画を海外に広めた恩人ともいうべき人だが、私も何度かお会いしたことがあった。私にとって彼には謎の部分がいくつかあって、それもあって「偲ぶ会」に参加してきた。

場所は六本木の国際文化会館、いわゆるアイ・ハウス。戦後の日米文化交流の象徴のような場所だが、確か最初にリチーさんからもらった名刺にはここの住所と電話番号が書かれていて、自宅の電話番号がスタンプで押されていた。

参加者は80名ほどだろうか、思ったより少ない。それ以上に驚いたのは半分が外国人で、日本人も映画関係者は半分もいない。駐日アメリカ大使とか、文化庁長官とか国際交流基金理事長とかの顔も見え、全体にエスタブリッシュされた感じ。

挨拶はアイ・ハウスの理事長の明石康氏、アメリカのルース大使、そして映画評論家の佐藤忠男氏という大物揃い。その後にリチーさんが作曲した曲を2曲演奏。そして彼の短編映画「Inland Sea」の上映。

明石氏の挨拶は英語のみ。あちこちに配慮したソツのない挨拶だったが、リチーさんにとって日本はオブセッションだったこと、テレビが大嫌いだったことなどが記憶に残った。元ユネスコ事務総長とは思えないくらい、ただのオジサンに見えた。

ルース氏の挨拶は和訳付き。外交官らしく、来日中にケリー国務長官を放り出してここに着たなどとジョークから始めたが、彼はリチーさんに会ったこともないようで、型通りの賛辞だった。

佐藤忠男さんの挨拶は日本語のみ。彼は、思い出をとりとめもなく語った。1956年に『映画評論』の編集部に入って、彼に連載をしてもらったこと。海外に行って日本映画の話になると誰もがリチーさんの本だけを頼りにしていたのがくやしくて、何か自分で足したいと思ったこと。小津や黒澤の本にしても川喜多賞や国際交流基金賞にしても、自分はリチーさんの6、7年後を追いかけていたこと。「いい兄貴だった」。

親しかった人はもっといただろうが、たぶん案内が届いていないのだろう。配られた小冊子はアメリカ大使館の援助を受けて出されたもので、その意味でも何ともオフィシャルな会だった。

彼の謎の一つは、日本語はできたのかというもので、私は英語でしか話していない。佐藤忠男さんに直接聞いたら、「一応話せたが、全く読めない」。映画館の窓口でも「ワン・チケット」と言っていたのを記憶しているから、あえてガイジンであることを楽しんでいたのかもしれない。不良外人を装った傍観者の立場を。

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