『国際交流基金 展覧会記録1972-2012』に考える
『国際交流基金 展覧会記録1972-2012』が自宅に送られてきた。いまさら隠しても仕方がないが、私は国際交流基金に6年半勤めていた。25歳から32歳までの時で、今思うと社会人の基本を教えてもらった。
なかでもその後に大きな影響を及ぼしたのは、事業部展示課というセクションに2年3カ月いたことだ。そこは主に海外で日本関係の展覧会を企画したり、援助したりするところだった。
送られてきた『展覧会記録』には、私が係わった展覧会がいくつも掲載されていた。それぞれ記述は短いし、むろん私の名前も出てこないが、数行の文章を何度も何度も読みながら、当時の記憶をたどった。
一番記憶に残っているのは、「具体 日本のアヴァンギャルド 1954-1965」だろう。ここでも書いたと思うが、関西を中心にした前衛美術グループ「具体美術協会」の回顧展で、イタリアのローマとドイツのダームシュタット(フランクフルト近郊)で開催された。
おもしろかったのは、そのグループの方々が60代や70代で、みなさん展示に参加されたことだ。私は10数人の元芸術家たち(半分は現役)を連れて、添乗員さながらに出かけていった。当たり前だが、芸術家は個性が強い。自分の作品はここじゃいやだ、などは序の口で、食事の時間に至るまで意見があった。その方々と海外の美術館側の間に挟まって、ローマとダームシュタットでそれぞれ1週間を過ごした。
『展覧会記録』には、ローマのオープニングの写真もある。そこにはローマ国立近代美術館の女性館長や日本大使と並んで豆粒のように小さく、日本側のキュレーターだった尾崎信一郎さんと私が写っている。
もちろんこれは私が企画したのではなくて、バルバラ・ベルトッツィというイタリア人女性からの提案があって、亡くなられた先輩の矢口国夫さんが、具体美術の作品を多数所蔵している兵庫県立近代美術館に話されたのではないかと思う。
尾崎さんは当時そこの学芸員だった。バルバラさんも含めて3人とも30歳前後で、恐いもの知らずだった。尾崎さんはその後いくつかの美術館を経て、今は郷里の美術館に勤めておられると聞く。バルバラさんはその後ニューヨークに行き、著名ギャラリーのオーナーと結婚されたという話だが、お元気だろうか。
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