« 『25年目の弦楽四重奏』の緊密な作りに溜息 | トップページ | またまたイタリア映画祭:その(4) »

2013年5月 4日 (土)

またまたイタリア映画祭:その(3)

またイタリア映画祭に行ってしまった。映画祭への思い入れというよりも、かつてこの人はすごいと思った監督の新作を見たかったから。フランチェスカ・コメンチーニのことだが、かつてドキュメンタリー「少年、カルロ・ジュリアーニ」(02)を見た時の衝撃は忘れない。

大監督コメンチーニの娘というので偏見があったが、この映画はジェノヴァ・サミットの反対デモで殺された少年を追いかけた地味だが強烈なドキュメンタリーだった。あまりの反政府的内容ゆえに、イタリア映画祭で上映しようとしてイタリア側からストップがかかった記憶がある。

そして『ママは負けない』(04)は、外資系企業に乗っ取られた会社に勤めるシングル・マザーが、パワハラにあいながら必死で生き抜く話だった。ベニーニの妻のニコレッタ・ブラスキが演じながらも、その追い詰められてゆくさまは、見ていて息が詰まった。

そして『愛と欲望 ミラノの霧の中で』は、金と権力でイタリアを操る巨悪に挑む女性刑事(ヴァレリア・ゴリーノがいい)の話。この監督は、緻密なリアリズムと繊細な感情表現によって、何が正しいかを徹底して追求していると思った。これはDVDで販売されているので見て欲しい。

ところが、『まっさらな光のもとで』(09)で失調した。妙なメロドラマ志向が出ていて、何を言いたいのかわからない。そして今回のイタリア映画祭で上映された『ふたりの特別な一日』は、さらに低調だった。

女優志望の娘が、政治家に会いにゆく一日を撮ったものだが、妙に若者ウケをねらったような明るさがあり、演出の方向が見えない。終盤は予想通りだが、普通の観客には何かよくわからなかったのではないか。唯一、政治家の家から出て車で帰る娘の顔に街灯があたり、オペラが流れるシーンだけが印象に残った。

ピッチョーニ監督も、ヴィルズィ監督も、そして最も信頼していたフランチェスカ・コメンチーニ監督も、往時のパワーはなくなった。たぶんかつての敵ベルルスコーニが、彼らの攻撃によってではなく経済破綻によって退陣してしまったことが関係あるのかもしれない。

ベルルスコーニさえ倒す資本主義の前には、これまでの戦いでは無理なのか。そんなことをぼんやり考えながらマリオンを出たら、数寄屋橋阪急がなくなっていたのに愕然とした。跡形もなく解体されている。資本主義は進む一方だ。

|

« 『25年目の弦楽四重奏』の緊密な作りに溜息 | トップページ | またまたイタリア映画祭:その(4) »

映画」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/537538/57305743

この記事へのトラックバック一覧です: またまたイタリア映画祭:その(3):

« 『25年目の弦楽四重奏』の緊密な作りに溜息 | トップページ | またまたイタリア映画祭:その(4) »