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2013年5月23日 (木)

『ニューヨーク、恋人たちの2日間』に見るフランス人らしさ

フランス人ほど、一般的なイメージと実際が違う国民はいないと思う。エレガントとかお洒落とかクールとかとは対極の部分がある。7月27日公開のジュリー・デルピー監督・主演の『ニューヨーク、恋人たちの2日間』を見て、そんなことを考えた。

ジュリー・デルピーと言えば、キェシロフスキの『トリコロール/白の愛』のはりつめたような演技が印象に残っている。最近は見ないので、もう消えてしまったのかと思っていたら、数年前から監督作品が東京日仏学院などで上映されていた。

正直なところ、ヒステリックな演技の印象から監督は無理だろうと思って、これまで見ていなかった。だからこの前作に当たる『パリ、恋人たちの2日間』も見ずに、『ニューヨーク、恋人たちの2日間』を見た。

これが予想以上におもしろかった。ジュリー・デルピーが40代のおばさんで、巧みに自分を茶化しながら自分を語ることに成功している。プレス資料の評の一つに「ウディ・アレンのような」という表現があったが、それは言い過ぎにしても、確かに似たような知性を持ち合せている。

ジュリー・デルピー演じる主人公のマリオンは、子連れでラジオDJのミンガス(黒人で彼も子連れ)と暮らしている。そんなところに父親と妹及びその恋人(マリオンの元恋人)が現れて、てんやわんやという物語だ。

そのてんやわんやぶりが野放図で、見ていて何度も笑ってしまう。とりわけ父親の自然児ぶりはとても演技とは思えないほどで、そこに妹がすぐに裸になったり、その恋人がマリファナを吸ったりと加わって、家の中はハチャメチャになる。

マリオンは現代美術家で、シンディ・シャーマンやソフィー・カルに似た写真の個展を開く。ミンガスはラジオのDJで新聞に批評も書いている。そんなニューヨークの文化的で知的な雰囲気の中に、農業国フランスの自由奔放な人々が乗り込んできた感じが、自虐的なユーモアと共に語られている。突然のヴィンセント・ギャロの登場のさせ方も何ともうまい。

ニューヨークに住むジュリー・デルピーは、これからもこうした私小説的な映画を作り続けるのだろうが、今後も見続けたいと思った。

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