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2013年5月 5日 (日)

またまたイタリア映画祭:その(4)

もうイタリア映画祭はたくさんと思っていたが、友人が良かったというので、また2本見た。フェルザン・オズペテク監督の『素晴らしき存在』とマルコ・トゥリオ・ジョルダーナ監督の『フォンターナ広場 イタリアの陰謀』。共に日本公開作もあるベテランの新作だ。

一言で言うと2本ともかなりおもしろかったが、この2人はかつての成功したパターンをあえて捨てて、新しい領域に挑戦しているようだ。

オズペテク監督は、『無邪気な妖精たち』(01)や『向かいの窓』(03)で絶妙の人間関係を描いてきた。トルコ出身のせいか、必ず外国人、特にトルコ人が登場し、そのうえゲイやレズもいる不思議な空間の中で沸き起こる恋愛を何とも巧みに描いてきた。

今回は、その恋愛がない。ゲイの青年が古い屋敷に住み始め、8人の亡霊と出会う。最初は嫌がっていたが、次第に彼らと仲良くなり、彼らが1943年に消えた劇団員たちだったことを知る、というもの。

ほとんど映画になりそうにない話なのに、エリオ・ジェルマーノ演じる素朴な青年が、カフェや路上やオーディションでさまざまな人々と出会いながら、同時に幽霊たちと奇妙な会話を重ねてゆくさまに、次第に引き込まれる。彼が幽霊たちに似た格好でオーディションを受けに行き、肝心のところで幽霊の指示通り歌を歌うシーンなど抜群におかしい。

それでもこれまでのオズペテクのような、官能的なまでの人間ドラマは感じなかった。彼が新しい試みに挑んだと評価すればいいのだが。

『フォンターナ広場』は『ペッピーノの百歩』(00)や『輝ける青春』(03)で感動の渦を巻き起こしたジョルダーナ監督の新作だが、今回は実に渋い。1969年のミラノで起きた銀行爆破事件をめぐる疑惑を、再現ドキュメンタリーのようにたどる。刑事とアナーキストが物語の中心だが、膨大な数の人物と組織が次々に登場しては消えてゆく。

実は爆破事件が、政府が極右組織やNATOと組んで起こしたという仮定ににたどり着くまでに、一つ一つ真実が露呈してゆくサスペンスはただごとではない。しかしながら、日本の話ならある程度固有名詞が記憶にあるが、イタリアのこの時代の事件は全く取っ掛かりがないため、イタリア映画祭の観客には少し歯ごたえがありすぎたかも。

ジョルダーノ監督が、メロドラマを排して、いわば初心に帰って自分の世代の問題を徹底的に追求した志の高さを
讃えたい。彼のローマの自宅に行ったのはもう15年ほど前だが、四方を天井まで本棚で埋まった書斎で仕事をしていたのを、昨日のことのように思い出した。

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