« 『モネ・ゲーム』の大人向けコメディ | トップページ | 『ヒロシマナガサキ』に考える »

2013年5月21日 (火)

『夏の終り』の重厚さ

8月31日公開の熊切和嘉監督『夏の終り』を見た。試写状をもらった瞬間から、何だか濃密な空気が漂ってきて、見たいと思った。『夏の終り』という題名と、満島ひかりの大写しに「だって、愛してるの」というセリフにやられた次第。

映画は予想を上回る重厚なできだった。30代後半の監督が、同世代の撮影監督(近藤龍人)や脚本家(宇治田隆史)を使ってどうしてこんなに丁寧に昭和30年代を表現できるのか、不思議なくらい。まるで市川崑の『おとうと』の銀残しに似たような、くすんだ色調の画面に再現された昭和の濃厚な雰囲気に驚いた。

物語は、年上の小説家小杉(小林薫)の愛人として暮らしている染色家の女性相澤(満島ひかる)のもとに、かつての年下の恋人涼太(綾野剛)があらわれるというもの。

『海炭市叙景』に似て、物語をあまり見せず、感情の高まりのシーンをつなぐ。一度もセックスシーンがないにもかかわらず、情熱のほとばしりだけが伝わってくる。

そのうえ、説明もなく、回想シーンが何度も交差する。涼太との出会い、それがきっかけになった夫との別れ。小杉との出会い。

相澤が小杉の妻からの電話を受けるシーンが、一番強烈だった。女同士の声だけの静かな戦いに恐ろしくなった。そういえば、映画全体を通じて、小さな遠くの音があちこちに紛れ込んででいるのも心地よい。

最後まで破綻がない力作だけれど、2時間近く見ていて、どこか覚めた気分になった。あまりに構築された世界に、正直なところもっと自由にやって欲しいとも思った。それから、満島ひかりや綾野剛の存在感に比べて、小林薫が少し希薄か。

それにしても、最近は若い監督が昭和の時代を見事に描く。『マイ・バック・ページ』、『苦役列車』、『横道世之助』、『舟を編む』に次いで、今度は昭和30年代を描く『夏の終わり』。どれも力作だが、どこか共通するスノビズムがある気もする。

|

« 『モネ・ゲーム』の大人向けコメディ | トップページ | 『ヒロシマナガサキ』に考える »

映画」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/537538/57428478

この記事へのトラックバック一覧です: 『夏の終り』の重厚さ:

« 『モネ・ゲーム』の大人向けコメディ | トップページ | 『ヒロシマナガサキ』に考える »