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2013年5月24日 (金)

『セッシュウ!』を読む

昨年末に出た中川織江著『セッシュウ!』を読んだ。副題に「世界を魅了した日本人スター・早川雪洲」とあるように、日本初の世界的スター、早川雪洲の伝記だ。読むのに時間がかかったのは、理由がある。

まず文章が読みづらい。再現ドラマ風にある場面を描写したかと思うと、著者が誰に会ったというようなエッセー風になる。あるいは雪洲の話からはずれて、妻の青木鶴子の話になったり、それならまだいいが、「ハリウッド美容室」を作った牛山夫妻の話になったり。

それでもこの本は楽しい細部に満ちている。アメリカに渡る以前の早川雪洲については知らなかったが、海軍兵学校の入試に失敗して、自殺未遂までしている。そして1907年、21歳の時、父の反対を押し切って単独でアメリカに渡る。

シカゴ大学に入学するが、素人劇団に夢中になり、中退。妻となる鶴子と出会い、既に女優として活躍していた鶴子はトーマス・H・インス監督を連れて、雪洲主演の芝居『タイフーン』を見に行く。それが映画『タイフーン』(1914)につながり、『チート』(15)の大成功を生む。

『チート』で残酷な日本人を演じた雪洲に、在米の日本人は国辱俳優と名付け、「雪洲撲滅団」まで結成されたという。おもしろいのは、同時に雪洲がセクシーな俳優として、一挙に世界的なスターになることだ。それからは毎年、5、6本の映画に主演し、グレンギャリ城と呼ばれる4階建ての大邸宅を作る。部屋数は32で、パーティなら600人招待できる大広間があったというから、『市民ケーン』に出てくるケーンの邸宅のようなものだったのだろうか。

楽しいエピソードが満載の本だが、一番興味深かったのは雪洲が、終戦時にフランスにいたことだ。彼と同じ1886年の生まれの画家、藤田嗣治は、第二次世界大戦が始まると多くの日本人と同じく帰国し、戦争画を描く。雪洲は1937年から2度目のフランス滞在を始めるが、そのままパリにとどまり、日本画を描いて生活していたという。1947年には、ベネチア国際映画祭の審査員までしているというから驚きだ。

1949年、『東京ジョー』に主演するハンフリー・ボガートの強い希望で、パリからハリウッドに招かれる。日本で探させたが見つからず、パリで絵を描いているという噂から探したという。

先日『チート』のDVDを見たが、これは雪洲をビルマ人とした改訂版だった。当時の日米関係を配慮して3年後に字幕を変えたものだ。アメリカのDVDには、雪洲を日本人トリイとしているオリジナル版はあるのだろうか。いずれにしても、巻末の膨大な出演リストを見ると、もっと雪洲を見たくなる。

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