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2013年6月 8日 (土)

『小津安二郎周游』についてもう一度

田中眞澄著『小津安二郎周游』について昨日書いたが、ほんの出だしの紹介だけで終わったので、もう一度書きたい。この本はあっというような細部に満ちているので、もっと書いておかないといけない気がした。

1933年に作られた小津の『非常線の女』にも成瀬巳喜男の『君と別れて』にも、ヨーヨーをする場面が出てくるという。もちろん私は両方とも見ているが、全く記憶がない。著者は当時のヨーヨーの流行を調査する。すると33年4月号の『中央公論』に「ヨーヨー時代」という文章があり、それによると32年末に欧州から伝わり、日本でも大流行したらしい。

田中はその流行にインターナショナリズムや「非常時」への反発を読み解く。「人々はヨーヨーの<手先一つの加減次第>に<自由自在>に熱中した。その<手先一つの加減次第>が世界に通じる感覚だった。ヨーヨーへの没入はその<手先一つ>に追いつめられようとしているモダニズムの意識されざるレジスタンス、後退戦であったのだろうか」

1933年に日本は国際連盟を脱退する。ドイツではヒトラーが政権を取り、ナチスによる焚書が日本の知識人に大きな衝撃を与える。日本ではプロレタリア作家の小林多喜二が検挙されて、その日のうちに「急死」。京大では滝川事件が起き、8人の教授が大学を去る。さらに獄中の共産党幹部、佐野と鍋山の転向宣言。そして8月の大規模な関東防空演習。

そして小津に戻って書く。「1933年に於ける小津映画、『東京の女』と『非常線の女』から『出来ごころ』への変化は、単なる作風の変化として片付けることができない問題を孕んでいる。それは舶来的近代のインターナショナリズムに対する下町的土着、ナショナリズムの伝統の彼自身の内部の発見であり、回帰の志向性の動きであったように思われる。そこには彼のアイデンティティにかかわる必然があったはずである。それがその年の『非常時』という状況が示す方向に重なって見えるのは、もちろん偶然ではないだろう」

引用が長くなったが、ヨーヨーという細部から始まって時代の雰囲気に迫り、小津の変容にたどり着く粘り強い思考には感服してしまう。

本当は今日は小津が中国で毒ガス事件に手を染めていたというあたりを書くはずだったが、それはまた後日。

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