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2013年6月24日 (月)

あえて映画の退廃を引き受ける『グランドマスター』

ようやくウォン・カーウァイ監督の『グランド・マスター』を見た。やたらにホメる人と微妙な顔をする人がいたので、気になっていた。私の印象を一言で言うと、あえて映画の退廃を引き受けたような作品だった。

おそらく映画の2/3以上は、カンフーのアクションシーンだ。狭い娼館や路上でのカンフーの決闘を、まるで優雅に舞うように見せつける。1930年代の中国、カンフーの宗師(グランド・マスター)を決めるために数人が争うという物語はあるのだが、ほとんど抽象的なくらい闘いだけを見せる。

冒頭、雨の中でトニー・レオン演じる葉問(イップ・マン)が向かってくる大勢の男たちを次々に倒すシーン。スローモーションで大粒の雨と共にじっくりみせるので、いわゆる「映像美」の映画かとも思うが、映画を見ているうちに、それだけではない魅力を感じる。

娼館で並ぶずらりと娼婦たちを見るだけで、だだならぬ妖気が漂ってくる。とりわけ宗師の娘、ルオメイを演じるチャン・ツィイーが出てきてからは画面の色艶が増す。彼女とトニー・レオンとの決闘に、オペラのような歌声が混じってくると、不思議な情感があたりに広がる。

あるいは戦後2人が再開して、女が「実は好きだった」と打ち分ける時のアップなんて、とんでもないメロドラマだ。そこに流れるピアノ曲。チャン・ツィイーのちょっと虚ろな瞳にノックアウトされてしまう。

いろいろな場所で撮られる集合写真もいい。結局のところ、史実を淡々と語るだけでドラマらしいドラマはないのだが、華麗なアクションと映画的な細部が抽象的なまでに純化されていて、その退廃ぶりが心に残る。

レオス・カラックスの『ホーリー・モーターズ』に似て、映画の才能に満ちた監督があえて映画を壊してゆくような映画だ。その意味でこの作品は、21世紀の映画の方向の一つを確実に示している。

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