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2013年6月25日 (火)

清水宏映画の記憶

映画は見た後に時間がたつほど、その記憶は薄れてゆく。特に私はそれが激しいようだ。もともとこのブログを始めたのは、見た映画の感想を、少しでも残していこうと思ったから。そこで、先週見た清水宏4本について覚えていることを書き留めたい。

うち2本は1940年に朝鮮で作られた13分の『ともだち』と24分の『京城』。『ともだち』は、朝鮮にやってきた日本人の少年が朝鮮人の少年と仲良くなり、服を互いに交換して歩くという内容だ。上映されたプリントは音声が欠落しているが、それがかえってサイレント映画らしく見えていい。

日本らしくない広大な風景をテクテク歩く少年たちが印象的で、清水宏の映画は大陸の方が向いているのではないかとさえ思う。それにしてもこの映画にさえ、プロパガンダ色が感じられない。

『京城』はソウルを朝から晩まで撮った、ちょっと前衛的なドキュメンタリーだが、相当におもしろい。西洋的な建築も交じる大都会の様子は一瞬当時の東京かと思うくらい似ているが、家の形がどこか違う。

映画は朝、学校や会社に通う人々を捉えるショットに始まり、最後は夜の街のショットで終わる。ワルター・ルットマンの『伯林 大都会交響曲』(27)やジガ・ヴェルトフの『カメラを持った男』(29)などと同じパターンで、彼らにならったのかずいぶん前衛的な撮り方だ。

車から撮る風景がいい。日本との違いは、女たちがチマチョゴリを着たり頭にものを乗せて歩いたりしているところか。機織りや工芸品作りの働く現場に、競馬場や駅の賑わい。駅では「今度の発車は釜山行き」という札が出ていて、そこに向かう多くは日本人だ。賑わう駅の売店。

映画街もあって、『ゼンダ城の虜』や『信子』(清水の監督作品!)のポスターが見える。夜の街もいい。夜市のような物売りやデパートに集う人々。レストランで洋食を食べる着飾った男女に、料亭の宴会で酔った男たち。とても占領下とは思えないほど、戦争の影がないのに驚く。

ところで、この映画は現代の韓国で知られているだろうか。相当に貴重な映像のように思えるが。

『小原庄助さん』(49)と『もぐら横丁』(53)についても書こうと思ったが、これは後日。ああ、記憶は薄らいでゆく。

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