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2013年6月30日 (日)

眠くなるフィルム・ノワール

昔、「フィルム・ノワール」と呼ばれる映画が苦手だった。映画好きの友人が、いかにも通好みな感じで話す、1940年代から50年代の一連のアメリカ映画だ。パリに留学した時、それらを一挙にまとめて見た。

思い出すだけでも、『マルタの鷹』、『ローラ殺人事件』、『飾窓の女』、『ギルダ』、『三つ数えろ』、『上海から来た女』、『拳銃魔』、『狩人の夜』、『拾った女』、『キッスで殺せ』、『黒い罠』等々。

ところが、私はその多くで途中で寝てしまった。当時は多い時は1日に2、3本見ていたこともあるし、それ以上に日本語字幕でなくて仏語字幕だったことも大きい。シネマテークでは仏語字幕なしも多かった。

それでも西部劇やミュージカルは寝ないのに、フィルム・ノワールというジャンルでよく寝てしまうことに気がついた。フィルム・ノワールは複雑な物語が多いので、自分には向かないのだと思って、その後はあまり見ていなかった。

ところが大学で教えると、そうもいかない。建前として、映画の先生は古今東西の映画を知っていないといけない。そのうえ、最近は昔と違ってDVDがある。フィルム・ノワールはファンが多いのか、いくらでも出ている。

見始めると、これが実におもしろい。そこでわかったのは、一言で言うと、フィルム・ノワールとはメタ映画だということ。どこかに映画の映画のようなところがあって、映画をたくさん見た人ほどその面白みがわかる。

例えばフリッツ・ラング監督の『飾窓の女』(44)は、大学の教授がある夜若い女性に誘惑されて、人殺しをしてしまう話だ。画廊に展示されている美女の絵を眺めていると、そのガラスに似たような女性が映る。振り返るとそこにモデルとなった女性が立っていたというもの。

映画に絵が出るというのは、スクリーンという枠の中にもう一つ枠が出てくるだけで、メタ映画になる。ましてやその女性が動き出したら。そのうえ、この映画はラストにそれは夢でした、というもう一つの枠がある。こんな幾重もの夢があったら、素人は眠たくなるのはむしろ自然だろう。

同年のオットー・プレミンジャー監督『ローラ殺人事件』もまた、冒頭のクレジットの背景に美人を描いた絵が出てくる。中盤、死んだはずのその女性が実際に現れるから、本当に夢の展開だ。しばらくはフィルム・ノワールにハマりそうだ。

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