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2013年6月 7日 (金)

『小津安二郎周游』の深さに驚く

田中眞澄氏の『小津安二郎周游』をようやく読んだ。もともと田中さんの本はちゃんと読んだことがなかった。長い間、フィルムセンターに行くたびにお見かけしたので、何かわかったような気になっていたのかもしれない。今回この本を読んで、その深さに驚いた。

これは田中さんが亡くなった後の「偲ぶ会」で誰かが言ったことだが、彼はいつもフィルムセンターと国会図書館を往復していたという。この本はまさにその2つの場所から生み出されたものだ。つまり、映画を見ることと、その同時代の資料を調べること。

最初の文章にやられてしまった。「小津安二郎は体の大きな人だったと言われる。だがどのくらい大きかったのか、正確なところは詳らかではない。生前の小津を知る人たちに聞いても、記憶にばらつきがある」。映画監督について論じるのに身長から入る本があるだろうか。

そして1951年8月10日号の『毎日グラフ』で、「満四十歳、身長五尺六寸、体重十七貫」という記述を見出す。つまり、169.68センチ、63.75キロ。仕事のない時には十八貫に戻るというから、67.5キロ。

これは当時としてどの程度か。『完結 昭和国政総覧』で調べると、1950年で40代の男性の身長は159.1センチ、54.5キロ。「以上の結果、小津安二郎が彼の世代の日本人男性の中では、やはりかなり大柄の部類に属したと認めてもよさそうである。その上これは誰の証言でも一致するのだが、彼は肩幅が広くがっちりしていたので、座っているときには殊更大きく見えただろう」。

そして若き小津を描いた文章をいくつか引用する。『映画と演芸』1929年9月号の伏見晃の「蒲田のモボ・モガ」と題する文章で、「拳闘家の様な立派な体格を明るい灰色がかったスマートな服と真っ白なワイシャツに包んでニコニコと現れる」。

それから、小津が「乙雀」という偽名で描いた文章を手掛かりに、小津とボクシングのかかわりをえんえんと書く。いやはやその愚直というか迂遠というか、その徹底した探究心に脱帽してしまった。世のいわゆる映画研究者は、田中氏の本を読むと論文が書けなくなってしまうのではないか。

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