本当のことを言おうか:東大病のこと
今日は本当にくだらないことを書く。いわゆる東大病のことだ。というのも、先日某学会である研究者が自分の発表をする前に、東大卒云々と言う学歴を得意げにパワポで見せたのに驚いたから。そのうえ、その前に講演をした映画監督と東大の同じ学科卒だと自慢した。
たぶんその方は東大卒が一生自慢なのだろうと思う。そしてそれが他人には滑稽に見えることがわからないのだろう。
ここまで無邪気な例は珍しいが、東大卒の人々に悩まされたことは多い気がする。考えてみたら今の教職に就く前に勤めていた職場は、2つとも幸か不幸か東大卒が多かった。もちろん彼らはそのことを自慢したりはしないが、いわゆるプライドの高い人が多かったのは間違いない。
どうでもいいことで自己主張をしたり、意味がないのに自分の独自の視点を見せてみたり。いわゆる協調性に欠けるというやつで、日本の組織では迷惑な場合が多い。もちろんそうでない東大卒もたくさん会ったけれど。
社会に出れば誰でもわかることだが、おおかたの職業では学生の時にどこで何を勉強してようが、あまり関係ない。必要とされるのは、柔軟な発想とか、モチベーションの高さやコミュニケーション能力、情報収集力、あるいはそれら以前に人柄とか体力とか、まあそんなことだろう。
だったら何のために大学に行くのか、大学で何を教えるべきかということになると、自分に問題が跳ね返ってくるけれど。とりあえず東大病に話を戻すと、東大病などと言うのは、自分が東大卒じゃないコンプレックスだという考えもあるだろう。単なる僻みじゃないかと。
それも含めて、これはたぶん現代の日本社会全体の問題ではないか。つまり肩書や前例に頼り、自ら判断をできない無責任な社会の象徴で、たぶんこのグローバル社会には向かない。
だったら大学でどんな人材を育てたらいいのかと、また問題は自分に戻ってくる。ハイ、くだらない話はおしまい。
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