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2013年7月20日 (土)

1938年のベネチアからカンヌへ

前に書いた通り、清水宏監督の『風の中の子供』は、田坂具隆監督の『五人の斥候兵』と共に、1938年のベネチア国際映画祭に出品された。そのあたりを調べていたら、いくつかおもしろいことがわかったので、ここに記しておきたい。

まず、日本映画が最初にベネチアに出たのはこの年が最初ではない。前年には『荒城の月』が出ているし、1934年には3本の日本映画をまとめた『ニッポン』が出品されている。そのうえ『ニッポン』は、ベネチア国際映画祭が1985年に出した資料集によれば、名誉賞まで受賞している。

これまでは『五人の斥候兵』が1938年のベネチアで「民衆文化大臣賞」を取ったのが、国際映画祭での受賞の最初だと言われてきたが、厳密に言うとこれは間違いだったことになる。こちらが有名なのは、初めて国際文化振興会(今の国際交流基金の前身)が岩崎昶や飯島正らプロの映画評論家を入れた審査会を事前に開き、かつベネチアにパリ駐在員まで送ったからだろう。つまり、政府機関が関与した初めての公式な出品だったからだ。

『映画読本 清水宏』にも書かれている通り、『風の中の子供』は賞は取らなかったが、仏誌「プール・ヴウ」は『五人の斥候兵』より高く評価していることが当時の『キネマ旬報』に書かれている。これは「プール・ヴウ」Pour vousの原文を見てみると、9月14日号にルネ・レーマンが「否定しがたい映画的な価値がある」と書いている。

ベネチア国際映画祭はいわゆるベネチア・ビエンナーレの一部だが、これを運営する財団は、ベネチア郊外の倉庫街にアーカイヴを持っている。1895年にベネチア・ビエンナーレが始まって以降の資料が保存されているが、ここに1938年のベネチアに関する公式資料や新聞の切り抜きを調べに行ったことがある。

そこには、『風の中の子供』がベネチア終了後パリで試写をやって好評だった記事もいくつかあった。これは川喜多かしこが後に書いた回想とも一致するが、そこで驚いたのは当時フランスの新聞でベネチア批判の声が高まっていたことだった。

グランプリにドイツのレニ・リーフェンシュタール『オリンピア』が選ばれて、フランスのマルセル・カルネの『霧の波止場』が無冠に終わったのはおかしいというものだ。ベネチアがファシスト政権の言いなりになったからだと書かれている。そして今後フランスはベネチアに出品すべきではないとか、フランスにも国際映画祭を作るべきだという意見も出る。

記事はさらにエスカレートして、カンヌやニースがいいのではという提案が出され、次第にカンヌにまとまってゆく。カンヌ国際映画祭は1946年に作られるが、実は1938年の時点から既に準備がされていたことになる。それにしても、国際映画祭とはその発端から何と政治的なものか。

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