ブログの効用
このブログを始めて、4年と3カ月。毎日書きはじめてからはちょうど4年ほど。4年前にはもうスマホが出ていて、時代はブログからフェイスブックやツイッターに移行していた。時代遅れと知りつつ毎日書くのはなぜか。
一番は、備忘録として。私の場合、いい映画を見て感動しても、別の映画を見るとすぐに忘れる。淀川長治さんや蓮實重彦さんとは頭の出来が違う。ブログを書きはじめた頃は数日後に書いていたが、今はだいたい翌日に書く。書いてしまうと本当に忘れるので、後で細部を知りたい時には自分でブログ内検索をする。
それからこれはびっくりしたが、ブログを読んだ方から原稿依頼が何度かあった。劇場パンフが多い。そのほか時々書いているWEBRONZAの編集者Tさんは、このブログを読んで「あれをこう書いたらどうだろう」と依頼をしてくる。最近は清水宏ばかり書いていたら、案の定注文が来た。(上)(下)2回に分けて書いたのが最近アップされたのでどうぞ。今日は昼頃「風立ちぬ」論がアップ予定。
何より試写会に行く理由ができる。タダで見るばかりでどこにも書かないと、宣伝の方に申し訳ない。せめて見た感想を書くと、何となく責任を果たした気になる。何の責任かわからないが、毎日1000を超すアクセスがあるので、定期的に読む人がいるに違いない。一説によると、読んでいるのは映画業界の人ばかりらしいが。
久しぶりに会う方や海外に住み方も、会うとブログから話が始まることが多い。こちらの日常を知られているので、話が早い。実はすべてが事実ではなく、適宜加工しているが、それも含めて今の私の頭の中はわかってもらえる。
さらに、教師としての教育的効果。実名なので学生も読む。先生はこれだけ見てるとぞ、傑作だから君らも見なさい、という上から目線。しかし見方が甘かったり、文章がまずかったりすると逆効果なので、真剣にならざるを得ない。
それも含めての自己鍛錬か。スポーツ選手の毎朝のトレーニングのように、毎日書くことで、頭脳を鍛える。大学の教師は暇なので、鍛えないと、日々鈍ってしまう。毎朝起きると、さて何を書こうかと考える癖がついた。最近はブログのために美術展を見に行ったり本を読んだりして、逆転現象も起きている。
今日は実は清水宏の『恋も忘れて』と『簪』について書こうと思ったが、これは後日。
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