映画版『共喰い』の濃密さ
田中慎弥の芥川賞受賞作『共喰い』を青山真治監督が映画化したというので、期待して見に行った。後半、原作とは少し違う展開になるが、映画ならではの濃密な画面に最後まで目が離せなかった。
俳優たちが、みな痛々しいほどの存在感を見せる。主人公の少年を演じる菅田将暉やその恋人役の木下美咲は、その射すような目つきからして強い磁力を発しているし、父親役の光石研や母親役の田中裕子がこの世のものとは思えないほど悪魔的な姿を見せる。父親の愛人役の篠原友希子も力強い。
物語は大半は小説と同じ。17歳の少年が、セックスの時に女を殴る父親とその愛人と暮らしている。少年は魚屋を営む母親の家にも出入りし、時おり恋人と神社でセックスをする毎日だ。
絶えず、男の性欲が剥き出しになり、女たちはそれを嫌がらずに何とか連帯して生きてゆく。それが海に近い川のそばで、生々しく繰り広げられる。時代は昭和の終わりだが、こんな濃密な空間は、もう今の日本にはどこにもない気がする。
私も九州の炭鉱町で育ったせいもあって、何か既視感のある世界に見えた。全盛期を過ぎた炭鉱町に特有の、ちょっと腐ったような生々しい匂い。食欲と性欲を隠さず、絶望の中を虚勢を張って楽しんで生きるような感じといったらいいのか。
あえて言えば、私の記憶では下関はもっと海の町で、この映画の世界は北九州の川筋だと思う。小説の方は、ある意味で抽象的で、中上健次に近い神話性を持っていた気がする。
『東京公園』で映画そのものに抽象的に迫った青山真治が、今度は得意の土着的世界をじっくりと見せる。見る者は誰にも感情移入ができずに、ひたすら最後まで驚くしかない。時おり流れる、「帰れソレント」をギターで弾く音楽が何とも沁みる。最後に「In memory of my mother」という文章が出る。田中裕子の演技を思い出して、そうかと思った。
9月7日公開。
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