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2013年7月 4日 (木)

『トラブゾン狂騒曲』でゴミ問題を考える

8月に公開されるドキュメンタリー、『トラブゾン狂騒曲』を見た。トルコ北東部トラブゾンのゴミ処理場問題を扱ったものだが、見に行ったのは監督がファティ・アキンだから。ドイツで活躍するトルコ系の監督だが、『愛より強く』や『そして、私たちは愛に帰る』『ソウル・キッチン』などの傑作を作っている。

ではこのドキュメンタリーでファティ・アキンらしい強烈なドラマはあったかというと、それはなかった。けれど、ハイレベルのドキュメンタリーであったことは間違いない。

映画は、2007年にトラブゾン地域の小さな村、チャンブルヌにゴミ処理場が建設されるところから始まる。銅山の跡地で、簡単なビニール・シートを張った窪地にゴミがどんどんやってくる。ペットボトル、使用済み注射器、動物の死体、パソコンなどなんでもある。

ゴミから出てくる水分はタンクで処理されるが、汚水ははみ出す。白い水や黒い水に住民は臭い臭いと騒ぎ出す。市長は国に抗議するが、逆に訴えられる。環境庁から来た役人に抗議をする住民たち。大雨が降ると、汚水はあちこちに流れ出す。「雨は我々の責任ではない」という県の役人。住民はそれでもお茶を栽培し、海水浴をする。

抗議する住民たちの顔がいい。紅茶の栽培をする姉妹の何とも自然な美しさ。強烈な抗議をする赤ら顔のおばあさん。役人に悪態をつくおじさん。村を去ることを考える、いとこの男女の若者。そして平然と国に楯突く市長さんがいつも冷静で、いい味を出している。

市長さんが無罪になった後に、祭りがある。「みんなあなたを愛している」と歌い出す舞台の歌手に合せて、大勢の女性たちが自由に歌い出す。ほかにも歌うシーンがあったし、コーランの祈りをスピーカーで村中に流すおじさんもいる。

終盤、汚水処理槽の壁が決壊する。こうしてすべてが露呈した瞬間は、何となくファティ・アキン的な強烈なラストのようでもあった。映画は2012年までで終わるが、何も解決はしていない。最後にクレジットで監督の祖父母がその場所の出身だったことが明かされる。

トルコの田舎のゴミ問題なんて、普通外国人の関心は呼ばない。しかし、トルコ系で世界的に評価の高いアキンが撮ることで、カンヌにも招待されて国際的な話題になる。そして我々は日本でそれを見て、当然ながら原発を含む自分の足元をもう一度見直そうと思う。その意味でアキン映画の倫理性は一貫しており、その作戦は成功している。

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