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2013年7月28日 (日)

リチーさんをめぐる疑問

今年の2月にドナルド・リチーさんが亡くなられて、半年近くたつ。先日、私が関係している研究会では「ドナルド・リチー再考」をテーマに4名の方に発表してもらったが、彼を巡る私の中の疑問が少し解けた気がした。

リチーさんと言えば、長年日本に住んで日本映画を海外に広めたアメリカ人の映画評論家として名高い。日本の映画界にとっては本当にありがたい存在だから、彼を絶賛する日本人は多い。誰に対しても開かれていて、どこにも属さずにあくまで自由で、独特の映画を見るセンスがあった、云々。

私も彼と何度か会ったことがあるが、親しくはならなかった。恐らく私のことは覚えてもいないだろう。そんな私には、どこか日本人をバカにしているような気がしてならなかった。日本映画の専門家のはずなのに、日本語は怪しかったし、映画館の窓口で「ワン・チケット」と英語で通していたのを見たこともある。どこか「不良外人」を演じているような感じだった。

彼の文章も、日本人に対して冷やかなものがあった。研究会でイェール大学のアーロン・ジェロー教授は、英語圏では最初の日本映画論「The Japanese Film」(1959、未邦訳)を再読して、そのあたりを明示してくれた。

この本には日本人を単一化するオリエンタリズムがあり、コロニアルな視線がある。30年代の松竹モダニズムのような喜劇よりも、シリアスで文学的、ヒューマニスティックなものを好む。日本の映画評論家を軽蔑し、日本人よりも日本映画を理解する者として日米に教育的な視点を示す。いわば「上から目線」だが、同時に他者として遠くから冷やかに見つめているようでもある。

私は彼の『映画のどこをどう読むか』を読んで、その構造的解釈の深さに感銘を受けた記憶がある。ここではブレッソンの『抵抗』やドライヤーの『裁かる々ジャンヌ』、ヴィゴの『新学期 操行ゼロ』、アントニオーニの『情事』、ルノワールの『ゲームの規則』などを選んでいる。日本映画は『東京物語』しかないし、ハリウッド映画はない。

アメリカを嫌い、アメリカ映画を回避して欧州の前衛映画を深く愛しながらも、日本映画に関してはヒューマニズムを好んだ。是枝裕和の映画を愛し、青山真治の映画を嫌った。佐藤忠男と仲良しで、蓮實重彦を憎んだ。

ヨーロッパかぶれでアメリカ嫌いのアメリカ人が日本に住んで、アメリカ人の日本映画研究者と日本の映画関係者に愛されながら、超越的な態度で日本で自由に暮らす。そんな彼の姿が浮かんできた。

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