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2013年7月16日 (火)

写真がアートになる時:グルスキー展に考える

国立新美術館で始まったばかりの「アンドレアス・グルスキー展」を見た。それなりにおもしろかったが、なぜか嫌な感じがした。写真をいかにもアートとして見せている作り方や見せ方に違和感を感じた。

これはちょうど、映像作品が現代アートとして美術館で展示されている時の感じに似ている。アビチャポンやペドロ・コスタを美術館で見る時の、スノッブな感じだ。

グルスキーの写真のコンセプトは明快だ。何気ない現実を写真で切り取って、現代社会の機械的、抽象的な側面を見せること。えっ、それだけ、という感じだが、スーパーを撮ろうが、カミオカンデを撮ろうが、バンコクの汚れた川を撮ろうが、神の視点から世界をシリアルな抽象模様として見せる。

それを巨大な展示空間で、5メートルにも引き延ばして見せれば、それなりの効果はある。人間の小ささ、愚かさが伝わってくる。私にとっておもしろかったのは、ポロックの絵を撮った一枚。結局、抽象絵画を目指した、という告白のように思えた。

このレベルのドイツ人作家を見せるくらいなら、もっと日本人の現代作家に焦点を当てて欲しいというのが、正直なところ。海外で話題の作家を慌てて紹介する、相変わらずの欧米崇拝ではないのか。この展覧会は9月16日まで。

普通の写真を見たくなって、東京都写真美術館で「日本写真の1968」を最終日に見た。もちろんそこには学生運動があり、新宿駅騒乱があり、沖縄問題があり、疲弊する農村がある。あるいは1968年に開かれた写真100年展に出た戦前の写真や広島・長崎の原爆投下直後の写真がある。

東松照明、森山大道、牛腸茂雄、渡辺克巳、石黒健治、田中長徳、田村彰英、新倉孝雄といった写真家たちの社会に向かう怒りの眼。それらはグルスキーの余裕たっぷりのアート写真とは対極にあって、その直接的な表現が何とも快かった。私はアートになった写真も映像も苦手だと改めて思った。

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コメント

同感です。こけおどしのような写真展でした。栃木県立美術館の山中信夫さんの写真展の方が、どれほどまとまか。

投稿: 山内健 | 2013年7月16日 (火) 11時45分

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