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2013年7月 3日 (水)

『終戦のエンペラー』に不覚の涙

個人的には、天皇や皇室に全く興味がない。彼らを好きな日本人がかなりいるのはしょうがない、というくらいだ。それなのに、7月27日公開の『終戦のエンペラー』で、片岡孝太郎演じる天皇の発言シーンに不覚にも泣いてしまった。

映画はいわゆる歴史大作。原爆投下のシーンに始まり、マッカーサー到着以降天皇との会見までを、GHQの活動を中心にアメリカ側から描いたものだ。ニュージーランドに作られた焼跡の東京にいささか違和感を覚えるのを除けば、可もなく不可もなくきちんと作られている。

大ざっぱで親分肌だがポイントをはずさない、マッカーサー役のトミー・リー・ジョーンズがいい。彼の持ち味が役柄にぴったり。そのほか、東條英機役の火野正平、近衛文麿役の中村雅俊、宮内次官役の夏八木勲、木戸幸一役の伊武雅刀などみんな抑制の効いた演技を見せる。というより、脚本に情緒的な部分が少なく、彼らの一瞬の台詞や存在感が際立つ。

そんななかで、木戸幸一が自らGHQに乗り込んで、天皇が戦争を止めるのに果たした役割を述べるシーンで、なぜか涙が少し出た。それからフェラーズ将校の恋人の父親を演じる西田敏行の話にも。極めつけは天皇がマッカーサーに会った時に、英語で「責任はすべて自分にあるから、日本国民を守って欲しい」と言うシーンで泣いた。

天皇がポツダム宣言を受け入れるために果たした役割については、古くは『日本の一番長い日』(本と映画)から、古川隆久著『昭和天皇』のような最近の歴史研究に至るまで、既に何度も語られていたことだ。だが、マッカーサーが天皇を有罪にするか否かのサスペンスの中で、その後戦犯になる何人かの日本人の曖昧な証言の後にこの言葉が出た瞬間、泣けてしまう。

たぶん戦後長い間精神的、物質的に日本を支配してきたアメリカに対する愛憎が自分の中にあって、そこが天皇の発言でやられたのかもしれない。

映画は、マシュー・フォックス演じる、日本好きのフェラーズ将校を中心に進む。かつてアメリカで日本人女性を好きなり、日本まで追いかけてきたというロマンスもある。彼自身の演技は悪くないが、そのロマンスもそうだし、焼跡の東京での彼の放浪などは必要だったのかどうか。ただ、好きになった女性は戦死していたというような、ある意味素っ気ない展開は悪くない。

たぶん日本人の多くはこの映画を見たら、泣くだろう。さて問題は多くが見に行くのかどうかだが。

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