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2013年7月14日 (日)

小説『蜘蛛の糸』の現代性

岩波文庫で芥川龍之介の短編集を買ってきた。かつては芥川も漱石も全集を持っていたが、会社員になっておおかた売り払った。そして今頃になって、活字が大きくなった文庫本を、思い出したように買う。

芥川の短編集を買ったのは、『蜘蛛の糸』を読むため。斎藤美奈子さんが「読売新聞」連載の「名作うしろ読み」で取り上げていて、無性に読みたくなった。

極楽に住むお釈迦様が、地獄にいる大泥棒の犍陀多(カンダタ)を救おうと蜘蛛の糸を垂らす。登ってきた犍陀多は、自分の下に無数の罪人が上がってくるのを見て「この蜘蛛の糸は己のものだぞ」と叫ぶ。すると糸はぷつんときれて、犍陀多は地獄の底に落ちる。

今はどうか知らないが、かつては小学校の教科書にあったので、誰でも覚えているだろう。蜘蛛の糸の美しいイメージと共に、地獄にうごめく罪人たちが印象に残っている。カンダタという名前も強烈で忘れられない。

斎藤さんは、「今日ここから連想されるのは過酷な競争社会、格差社会である」。私はむしろ、最近のSF映画を考えた。『エリジウム』という映画は『第9地区』の監督の新作だが、その予告編を見てこの本を思い出した。荒廃した地球に住む貧困層と、「エリジウム」と呼ばれる宇宙ステーションに住む富裕層の間の戦いを描いたものらしい。

最近見たSF映画は似た構造のものが多い。『オブリビオン』も『トータル・リコール』もそうだった。いつも地球は荒廃している。SF映画は『メトロポリス』の昔からそうだ。そうしてみると、芥川の『蜘蛛の糸』の現代性がよくわかる。


ところで私が小学生の時に読んだ時は、自分はあくまでお釈迦様の側、極楽にいると思った記憶がある。だから地獄が怖かった。今回読み直して、自分は明らかにカンダタの側、罪人の1人だとはっきり思った。何だか、これまで悪いことをたくさんしてきたような気がしてならない。何とも後ろめたい。

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