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2013年8月 9日 (金)

文学を考える映画2本

一日のうちに、文学をテーマにした映画を2本見た。1本は浜野佐知映画祭で上映されていた『こほろぎ娘』(06)で、もう1本は10月5日公開の『書くことの重さ~作家 佐藤泰志』。前者は尾崎翠の短編3本をつなげた劇映画で、後者は『海炭市叙景』の映画化が話題になった佐藤泰志のドキュメンタリー。

全く違うタイプの映画だが、私が尾崎翠も佐藤泰志もその小説を全く読んでいないという点だけは共通していた。

なぜ『こほろぎ娘』を見たかというと、監督の浜野佐知に興味があったから。数年前に知り合いのフランス人から電話があり、フランスの女性ジャーナリストがサチ・アマノについて調査のために来日しているが、会ってもらえないかと頼まれた。私はアマノという女性監督は知らないからと断ったが、それは浜野のことだった。フランス語はHを発音しないことを忘れていた。

浜野佐知という、ピンク映画の女性監督の名前は知っていたが、その映画は見たことがなかった。昨年、彼女が書いた『女が映画を作るとき』という本を偶然読んで、実におもしろかった。その映画を見たいと思っていたら、今回ちょうど『こほろぎ娘』の時に時間ができた。

これはピンク映画ではなく、彼女の自主制作作品。戦前のモダンな風景を再現し、精神科医や詩人、物理学者に若い娘や外国人たちが摩訶不思議な文学的世界を展開する。鈴木清順の『ツィゴイネルワイゼン』に似た世界だが、いかんせん映画的才能が違う。ひたすら文学臭の強いだけの映画だった。

『書くことの重さ』は、オーソドックスなドキュメンタリー。この小説家の生前を知る友人や先生、インタビューをした新聞記者たちから言葉を聞きだし、函館と東京を行き来した佐藤の軌跡をたどる。佐藤は80年代に芥川賞の候補に5度も選ばれながら、最後で落ちてしまい、41歳で亡くなっている。

途中でテレビの再現映像のように、佐藤を俳優が演じるシーンが出てきてこれはダメかと思ったが、なかなか丁寧にできている。築地の料亭の選考委員会で、吉行淳之介、開高健、安岡章太郎、中村光夫、丸谷才一といった面々が議論するシーンは意外におもしろかった。考えてみたら、今や全員故人だ。

2、3度、佐藤本人の映像が出てきたのが特に印象に残った。とりわけ、母親と市場にいた姿が。函館の冬の風景やヤミ米の「かつぎ屋」だった両親の姿、彼の書く角ばった文字など忘れられないシーンも多い。

久しぶりに「文学青年」について考えを巡らせたが、作家の堀江敏幸が彼のことを「80年代のどの作家にも似ていない」と言ったことや「書くことは、本当に肉体労働です。身を削って書くんです」と言ったことも印象に残った。

監督の稲塚秀孝はテレビのドキュメンタリー出身のせいか、敢えて言えばまとまりがよく、わかりやすすぎるのがこの映画の欠点だろう。再現映像をなくし、もっともっと自由に撮ったものを見たい。それよりまず、私は佐藤泰志の小説を読みたい。

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