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2013年8月25日 (日)

『夫婦善哉』の小説、映画、テレビ

実は、大阪が苦手だ。「何言うてまんねん」とか「よろしおまんな」とか、何だか肌にまとわりつきそうだし、お好み焼きも串揚げも、おいしいと思ったことがない。前に勤めた会社は創業の地が大阪だったせいか、コテコテの大阪人が妙に幅を利かせていたこともある。

そんな私が、一日のうちに、『夫婦善哉』の原作小説を読み、映画版DVDと今回のNHKドラマを見た。これは計画していたわけではなくて、本を読んだら昔買っていたDVDを見たくなり、見終わって新聞のテレビ欄を見たらNHKの土曜ドラマがあったという次第。

何といっても織田作之助の小説がおもしろい。「年中借金取が出入りした」という書き出しで、天ぷら屋の娘、蝶子が化粧問屋の既婚のドラ息子と同棲を始めて何とか食わせてゆくさまを、まるで講談のように浮かび上がらせる。文庫本の50頁ほどで、10年間ほどがさらりと描かれる。

冒頭の文章の次は、「節季はむろんまるで毎日のことで、醤油屋、油屋、八百屋、鰯屋、乾物屋、角屋、米屋、家主その他、いずれも厳しい催促だった。路地の入口で牛蒡、蓮根、芋、三ツ葉、蒟蒻、紅生姜、鯣、鰯など一銭天婦羅を揚げて商っている種吉は借金取りの姿が見えると、下向いてにわかに饂飩粉をこねる真似した」

この名詞の羅列は、映画ではとてもできない。いろいろな職業の借金取りが来るさまを見せるだけで時間がかかる。ところが文学なら1行でできる。だから芸者をやめた蝶子が始める商売も、小説だと剃刀屋に始まって、関東煮屋、果物屋からカフェ「サロン蝶柳」まで、繁盛しては調子に乗って失敗するさまがおもしろおかしく書かれるが、映画では小料理屋とカフェだけになる。映画でそんなにセットを作ったら金がかかってしょうがないだろう。

その分映画では、ベテラン豊田四郎監督による、淡島千景と森重久彌のなぜか離れられないカップルの、絶妙のセリフのやり取りや仕草を楽しむことができる。とりわけ淡島の芸者上がりらしい、何とも粋な立ち回りには惚れ惚れしてしまう。あるいは戸を閉めて夫に抱きついてゆく場面など、小説にはない色気もある。小説にあった、立ち込めるような下品で生臭い匂いはないけれど。

これが今回のテレビの尾野真千子と森山未来だと、別物になる。尾野には粋筋らしさが皆無で、森山は貧相過ぎてボンボン息子に全く見えない。あえてまともなのは、天婦羅を揚げていた火野正平くらい。まあ私は普段テレビは見ないので、テレビ批判はこれまでにしておこう。

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コメント

 少し前に、地元の映画館で森重淡島の夫婦善哉が上映された。淡島千影の粋な立ち振る舞いに魅せられた。昨日テレビドラマで、森山尾野のキャストの同作品を観たが、いかんせん尾野が芸者に見えない。見るからに芸がなさそうだ。何故踊りが下手なのに、あれだけ踊りのシーンを入れるのか。見ている方が居心地が悪くなる。NHKに美意識はないのか。

投稿: sona | 2013年8月25日 (日) 23時46分

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