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2013年8月20日 (火)

『R100』の自己言及性

小説を書く小説や、小説とは何かを追求する小説を書くことを、芸術の自己言及という。音楽も絵画も「現代」と名のつくものは、どこかにその部分を持っていて、映画にもある。松本人志は、4本目にしてそこに至った。

10月5日に公開される『R100』は、大森南朋演じる会社員が謎のクラブ「ボンデージ」に入会したところ、さまざまな女性が彼の日常に現れて、ボンデージ・ファッションで乱暴をするというストーリーだ。

これがなぜ自己言及かというと、45分くらいたったところで題名が出てきて、試写室から出てきた映画会社幹部たちが、作品のできを心配する場面が出てくるからだ。その後も、このシーンが何回か出てくる。

確かに会社員の前に出てくる女たちの行動はあまりにも滅茶苦茶でそのうえエスカレートしてゆくので、見ていて大丈夫かという気になってゆく。だからその心配を先回りしているのだろう。

これまでの松本人志の映画は、よくも悪くも芸人の映画だった。いつも一人芝居のパフォーマンスを楽しませる部分があって、それと映画的展開の齟齬がある意味で魅力だった。『さや侍』に至って、より映画的な要素を増していたが、それでも一発芸の部分はしっかり残っていた。

それが今度は大森に加えて、大地真央、寺島しのぶ、片桐はいり、冨永愛、佐藤江梨子、前田直美がボンデージ集団を演じ、前田吟とYOUも加わる。これだけ揃えたらもっと普通の映画に近づくかと思ったら、思い切りはずした。ありえない幻想の世界を展開して、さらに映画そのものへの自己言及へたどり着く。

こういう映画を見ると、どうしても北野武を考えざるをえない。彼は『座頭市』が当たった後に、『TAKESHI'S』や『監督・ばんざい!』で思いきり自己言及をやった。芸人としても監督としても先輩の北野を追ったのかと。

それでも、これまでの3本も今回の作品も、北野武の映画に比べると、普通の意味で面白さが劣る。北野の無駄を削ぎ落とした表現力は、松本の饒舌な映画とは対極にある。それでも松本は今回のような映画を経て、さらに彼独自の表現を極めてゆくのだろう。

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