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2013年10月12日 (土)

今年も山形に来た:その(1)

今年も山形国際ドキュメンタリー映画祭に来た。1989年の第1回は来ていないが、2回目の91年からはたぶん2年おきに毎年参加している。最初の頃はカタログの原稿を翻訳したり、ゲストや審査員の招聘を手伝ったりしていた。

山形の魅力は小規模なことだ。今年は約200本を上映するというから十分に大規模だが、街は小さく、運営はいい意味で手作りなところがいい。集まってくる人々は、監督だろうが、評論家だろうが、大学の教員だろうが、映画会社に勤めていようが、基本は根っからの映画好きばかり。

そんな連中が、まるで儀式のように2年おきに集まってくる。東京の試写室で会っても目礼くらいしかしないのに、ここでは妙に饒舌に話し出す。そんな、いい雰囲気がある。

初日に見たなかで一番心を動かされたのは、イグナシオ・アグエロ監督の『サンチアゴの扉』。かつてここで上映された『百人の子供たちが列車を待っている』が、その後劇場公開されて話題をよんだ監督だ。

映画は監督の家の中を映し出し、そこに訪ねてくる人々を写す。暗い室内のなかの本や写真。庭には光が注ぎ、小鳥が集まる。両親が抱き合っている1945年の写真が何度も写る。時おり挟み込まれる海の映像。

そこに突然「ピンポン」という呼び鈴が鳴り、人が訪ねてくる。物売り、ヤク中の物乞い、郵便配達人、双子の弟、駐車の許可を求めに来た人(実は知人だった)など。

玄関に据えられたカメラは、彼らが扉を開けた瞬間から映し出す。要件が終わると監督は聞く。「名前は」「どこにすんでいるかい」「カメラを持ってあなたの家を訪ねてもいいかな」

そしてカメラは、さまざまな人々の自宅や家族を写す。映画はその繰り返しだが、その中から忽然とこの町の人と生活が浮かび上がる。あるいは、訪ねてきた人の家を訪問するという、コミュニケーションの基本動作から、生きることの根源への思索が始まる。シンプルで奥深い映画だ。

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