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2013年10月11日 (金)

旅行中に読んだ本:『誘拐』

海外旅行に持ってゆく本は、だいたい読みやすいものに決めている。純文学より大衆小説。ノンフィクションもいいし、暴露ものはなおいい。先月、トロントとブエノスアイレスに行く時に選んだ一つが、本田靖春著『誘拐』。

言わずと知れたノンフィクションの古典で、だいぶ前から本棚に積んでいたのをふと見つけた。いわゆる「吉展ちゃん事件」を扱ったものだ。1963年の事件なので、私は生まれてはいるが、直接の記憶はない。しかし、その後に有名な誘拐事件として何度も名前を聞いたので、「よしのぶ」の読み方もすぐ出てくる。

最初に事件の瞬間が出てきて、それからは犯人、小原保の半生が淡々と語られる。そして事件発生から自供と遺体発見までの2年間の小原、家族、警察の動きが描かれる。

読む側は最初から犯人は小原だとわかっているから、興味深いのは警察と遺族の右往左往であり、そこから見えてくる時代の刻印だ。

当時は事件被害者の痛みというのは全く考慮になかったようで、吉展ちゃんの家は地獄だ。

「ふっくらとしていた(祖母の)すぎはめっきり痩せた。朝から深夜までいたずら電話が絶えない。犯人がいつ、何を言ってくるかわからないので、受話器をはずすわけにもいかず、ずっと睡眠不足が続いていたのである。もっとも、それがないとしても、眠れないことにかわりはないかもしれない。表で、裏口で、物音がすると起きて行く。吉展が帰ってきた。そういう気がしてならないからである。髪の毛の腰も全部抜けてしまった。/(母の)豊子も無残にやつれた。両目が腫れ上がって、つには新聞はおろかテレビまでもが見えなくなった」

この文章からわかるように、著者の書き方には優しさがある。犯人の小原に対する視線にさえも愛がある。福島の片田舎で生まれ、極貧で育つ。東京と間を往復し、東京では三ノ輪界隈に住みながら時計の販売業を覚えた小原が、借金を返すために罪の意識が薄いままに児童を誘拐し、たった五十万円を要求した男。

小原は服役後、短歌を始める。そしてかつて妻を通じて入信した日蓮正宗に再び打ち込む。その姿も克明に描かれている。高度成長に向かう日本の裏側の暗さを見た気がして、久しぶりに暗澹たる気分になった。


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