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2013年10月20日 (日)

東京国際映画祭は変わったのか:その(3)

昨日見たコンペ2本は、かなりおもしろかった。とりわけフィリピンのジョン・ロブレス・ラナ監督の『ある理髪師の物語』は、冒頭でいい感じの田舎の理髪店が出てきた瞬間から、濃厚な物語に吸い込まれていった。

舞台は1975年、マルコス政権下のフィリピンの農村。理髪師の夫が急死したマリルーは、その跡を継ぐ。これは彼女が次第に理髪師として成功してゆくさまを描くのかと思ったら、実は彼女が少しずつ反政府運動に目覚めて活躍してゆく物語だった。

脚本も美術もしっかりしており、素朴な田舎の主婦が次第に真実を知って立ち上がる過程が、丹念に描かれる。周囲の親類たちの描写もうまいし、何度かある政府軍の捜索のシーンはサスペンスに満ちている。普通の女性が英雄に変貌してゆくさまに思わず涙した。

深田晃司監督『ほとりの朔子』は、これとは反対に、気の抜けたような平和な現代日本の若者たちを描いた作品。二階堂ふみ演じる浪人生朔子は、叔母(鶴田真由)の誘いで湘南で夏の終わりを過ごす。そのダラダラとした日常を、日記のように日付入りで淡々と描いたもので、エリック・ロメールやホン・サンスのバカンス映画を思わせる。

しかしこの映画にはロメールのような躍動感はないし、ホン・サンスのようなシニカルなユーモアもない。あるのは平成日本の呑気な若者たちの日常感覚だが、その細やかな表現には魅力があった。とりわけ二階堂ふみの水着姿がいい。ただこれが日本を代表するコンペにふさわしい作品かどうか。実際、途中で外国人のプレスが何人も席を立ったし。

この2本の上映後には、記者会見があった。上映直後に同じ会場でやるのは今回が初めてで、私は『ある理髪師の物語』後の会見に参加したが、会場に映画の余韻が残っていて、悪くない。

実を言うと、昨年読売の某記者から「1度しかないコンペの上映中にほかの作品の記者会見があるのはおかしい」という意見を聞いたので、WEBRONZAの5回シリーズで触れた。するとだいぶたって新しいトップの椎名保さんと会ったら、「あれはおかしいので意見を取り入れた」とのことだった。今回その変化を見て、書くことで変わることもあるのだと実感。

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