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2013年10月13日 (日)

今年も山形に来た:その(2)

ドキュメンタリーは、ふだん見えないのものを見せてくれる道具だ。それは世界の辺境を写すこともあれば、社会悪の追及に向かうことも、自分や家族の謎に迫ることもある。今回、自分の両親の「言わない話」を追いかけた映画を、2本見た。

メキシコのディエゴ・グティエレス監督『家族のかけら』は、息子が自分の老いた両親を撮ったもの。2人はメキシコシティ郊外の広大な土地に、大きな家を建てて3、4人のメイドを使いながら住んでいる。いわば悠々自適のはずだが、なぜか仲は良くない。

それぞれ別の部屋で暮らし、食事は一緒だが「夫は食べるのが早すぎで、食卓につくと終わっていることも」「後は本を読んで原稿を書いている」と妻。そして衣装棚の膨大な高価な服を「私が生きている間は着なくても捨てない」と言う。

17歳の頃の妻のホームムービーが出てくるが、何不自由なく育ったお嬢さんという感じ。夫は32歳の時、10歳下の妻と結婚する。「本当に美しかった。相思相愛だった」。彼は今の妻を「どうでもいいことに悩んでいる。鬱病じゃないか」。庭から見る窓の向こうに別々に映る彼らは、本当に孤独だ。それを息子は残酷に描く。ある意味、日本では見慣れた風景だが、今や世界中同じなのだろう。

カナダの女優で監督のサラ・ポリー『物語る私たち』は、さらに複雑な構成だ。監督が自分の家族について語り、父親や兄弟たちが語るうちに、話は父母の関係に集中してゆき、そこから監督本人の出生の秘密に及ぶ。

父母や子供たち、そして友人たちを撮った膨大な8ミリの映像がある。そこにこの数年で撮られた家族や友人たちのインタビューが混じり、音楽が加えられると、突然意味を持ってくる。自分が書いたナレーションの台本をスタジオで録音している父親の姿まで何度も写る。

膨大な映像を巧みに編集しながら、あっと驚く真実を見せてゆく構成力は素晴らしい。うますぎてどこか映像を「操作」している感じもするが。この映画はエンタメ要素も強いし、サラ・ポリーも有名だから、劇場公開が可能なのではないか。

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