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2013年10月22日 (火)

東京国際映画祭は変わったのか:その(5)

昨日は授業の後に1本を見た。コンペの『ザ・ダブル/分身』で、イギリスのリチャード・アヨエイド監督の新作だが、東京国際映画祭のコンペとは思えないほどセンスが良かった。

というのも、作家性の強い作品はほかの有名な映画祭のコンペに出るから、東京はどちらかというと、辺境の珍品か歴史ものや根性もの、あるいは変態ものが多い気がする。つまりセンスより中身で勝負という感じ。

この映画は、古ぼけた列車の中で座っている席を奪われる青年が写った瞬間から、ハマってしまった。彼の勤める会社はまるで社会主義時代のソ連か東欧のようで、すべてが古めかしいが、完全に「大佐」の下に管理されている。主人公は仕事も恋愛もうまくいかないが、会社に突然現れた自分そっくりの新人にすべてを奪われる。

まるでカフカの小説のような世界だが、シニカルなユーモアがたっぷりで不思議な味わいがある。そのうえ、ジュークボックスから突然坂本九の『上を向いて歩こう』が流れたり、中華レストランでブルーコメッツの『ブルーシャトー』が聞こえたりして、のけぞってしまった。まるでカウリスマキみたいだが、彼の世界とはまた違う。

何より、1960年代の元祖コンピューターのようなものですべてが管理され、殺風景な地下鉄と無機質なアパートの往復という、ジョージ・オーエル的なかつての想像上の未来社会を作りだしているのがすばらしかった。今のところ、コンペで一番の作品。配給会社の人を数名見たから、まだ売れていないのだろう。主人公がジェシー・アイゼンバーグで相手役がミア・ワシコウスカだし、これはイケる。

さて、このブログを書くために映画祭カタログを見ているが、「あらすじ」は時おり意味不明のものがあり、「作品解説」は「あらすじ」や「監督のメッセージ」とダブっていたり、監督や俳優やスタッフの解説が十分でないことが多い。全体として日本語がこなれておらず、「やっつけ仕事」の印象を受ける。

署名がないから誰が書いているのかわからないが、先日訪れたトロント国際映画祭のカタログの解説はすべて作品を選んだプログラマーの署名つきだった。そういったところにも、映画祭の良心が見える。

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