« フィルムセンターの2本 | トップページ | 小津没後50年:その(2) »

2013年11月19日 (火)

小津没後50年:その(1)

今年は小津安二郎監督の生誕110年で、没後50年。今朝の朝日の朝刊で、神保町シアターで全作品を上映することが載っていた。小津は1903年12月12日の生まれで、1963年の同じ日に亡くなっている。

60歳の誕生日ちょうどに死ぬなんて、計算されつくされた小津の画面のようだといつも思う。それはともかく、年末まで時々小津関連のことに触れたい。

生誕100年の時は私自身係わったが、全作品上映はフィルムセンターだった。今回は神保町シアターとは地味すぎやしないかと思う。ベルリンやカンヌでプレミアをした『東京物語』などデジタル修復版の日本初上映があるのだから、松竹の直営館でできないものかな。

そういえば、小津の本もいくつか出ている。「ユリイカ」の特集もおもしろいが、「ブルータス」の特集にはのけ反った。それらには後日触れるとして、今日は田中眞澄著『小津ありき 知られざる小津安二郎』について書きたい。

著者の田中氏は『小津安二郎・全発言』や『全日記 小津安二郎』など、驚異的な調査による小津本を立て続けに出した方で、一昨年亡くなられた。本が出る前は、とにかくフィルムセンターの常連で、いつもいた。ここでも書いた「偲ぶ会」に出てわかったのは、毎日フィルムセンターと国会図書館を往復していたことだ。

今回の本は、彼が雑誌などに書いたエッセーを集めたものだから、『小津安二郎周游』のような衝撃はない。しかし、短文で一般向けの文章だからこそ時おり田中氏のエッセンスが出ていて、ドキリとする。

「小津は自分に正直に生きることを欲し、自分にとって嘘でない映画を、生涯作り続けた」。その証左としてトーキーの導入が遅れた理由を、カメラマンだった茂原英雄がトーキーを開発していたので、それを待っていたことを書き、日記を引用する。「僕 茂原氏とは年来の約束あり 口約を果たさんとせば監督廃業するにしかず 決心す それもよし」

この逸話は知っていたが、監督を廃業してでも約束を守るという表現に驚いた。あるいは小津は「二十代の頃には二十代の映画を作り、五十代になると五十代の年齢にふさわしい映画を作った」という田中氏の説明は、今まで考えたことがなかった。『東京物語』は小津が50歳の時に作った映画だと思うと、急に小津の理解が進む気がする。

田中氏は映画に原作がある場合は、必ずそれに当たる。これまで誰が『その夜の妻』の原作に触れただろうか。この本の後半の「全作品解説」は『映画読本 小津安二郎』からの採録だが、ムック本ではなく単行本になると有難味が出る。ここでも彼は原作を丁寧に説明し、撮影の事情に触れる。長年「作品」の分析や解釈ばかり考えた私には、学ぶことが多い。

|

« フィルムセンターの2本 | トップページ | 小津没後50年:その(2) »

映画」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/537538/58603074

この記事へのトラックバック一覧です: 小津没後50年:その(1):

« フィルムセンターの2本 | トップページ | 小津没後50年:その(2) »