クーデルカの写真の旅
よく混同される名前にクーデルカとクーベルカがある。一方は1938年チェコ生まれの写真家、ジョセフ・クーデルカで、もう一方は1934年オーストリア生まれの実験映像作家、ペーター・クーベルカ。実は、私は長い間この2人を同一人物として混同していた。
写真も実験映画も大きく言うと「映像」だし、世代も生まれた場所も近く、どちらも祖国を離れて活躍している。2人が違うとはっきり認識したのは、2年前に東京都写真美術館でクーデルカ展を見てからだ。
1968年のNATO軍のプラハ侵攻を描いた写真を壁一杯に拡大した展覧会を見て、まるで戦車が自分に迫ってくるような気がして圧倒された。その写真が匿名でアメリカで発表されて話題になったが、これが自分が撮ったと認めたのは、父親の死後だった(迷惑がかからないため)というストーリーも記憶に残った。
そのクーデルカの展覧会を今度は東京国立近代美術館でやると聞いて、どういうことかと思ったら、今回はプラハ侵攻の写真を含む彼の全体像を見せる回顧展だった。
初期の実験的な写真から、劇場の写真へ。芝居の写真なのに、どこか非現実的な感じがただよっている。演劇自体がシュールだし、その撮り方もわざとボケていたり部分だけを見せたり。まさに東欧アヴァンギャルドという感じ。
ところが「ジプシーズ」のシリーズになると、一挙に現実の匂いが漂う。集団で放浪の旅を続ける人々に寄り添ってその日常を撮ったような写真ばかり。貧しそうなのに、どこか幸せに見えるような一体感がある。
それから大きな展示室で、ジプシーの続きと、プラハ侵攻と、「エグザイル」シリーズがいくつかの展示壁に並んでいる。「エグザイル」は、プラハを離れてロンドンやパリを放浪するクーデルカの亡命生活そのもののようだ。各地で寂しく生きる人々が、荒涼とした風景の中に立ち尽くす。
「エグザイル」シリーズの後半は横長のパノラマ写真で、ここにはもう人はいない。中東や欧州の地の果てのような光景が並ぶ。まるで人類が滅びた後の写真のようだ。
考えてみたら、すべて白黒。カタログは写真を裏表に印刷せず、紙を折って一枚に1作品を載せたこだわりぶり。しばらくはその柔らかな手触りを楽しみながら、彼の旅に思いを馳せるだろう。この展覧会は1月13日まで。
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