もの足りない横山大観展
最近は、江戸や明治、大正の美術に目がない。じっくり見られるならどこでも行きたい。というわけで、横浜美術館で今月24日まで開催の「横山大観展」を見てきた。嫌な渋谷の東横線乗り換えを止めて池袋まで出て、副都心線の急行に乗ったら、そこからみなとみらい駅(何という駅名!)まで1本で、スムーズだった。
今回の展覧会には「良き師、良き友」という副題がついている。この道徳じみた副題を見た時、つまりは大観以外の画家も混ぜるということだとピンときて、悪い予感がした。普通だと「〇〇とその仲間たち」とか言う類だ。
それに大観は、2008年に大展覧会を国立新美術館で見た。5年後にそれほど作品が揃うとは思えない。それでもHPを見ると今行けば大倉集古館の《夜桜》が見られるとわかり、血が騒いで出かけた。
予感は的中。作品数は160点あまりだが、うち3分の1は前期のみの展示。そのうえ残る100点ほどのうち約半分は大観以外だった。以外といっても、今村紫紅や小杉未醒、小川芋銭、冨田渓仙など一流の画家ばかりだが。それでも印象が混じるというか、大観も含めて個性が見えてこないもどかしさがあった。終わりまで見て、もの足りなさが残った。
私は小川芋銭は大好きで、今回出ている《肉案》などを見ると本当に笑いが止まらないが、もっと河童の絵を見たかった。東近美の展覧会は調べてみると1993年なので、もうそろそろ個展が見たい。
今回は個展ではなかったので全体に散漫な印象だったが、大観自身が散漫というか何でもありの画家だと思った。特に人物を描くと《迷児》のようにマンガチックで、ふざけているようにさえ見える。同じ画家が深遠な山水画を描いたとは思えない。
《夜桜》はもちろん圧巻だったが、パネルに、ローマの日本美術展に出すために余白をなくして描いたという解説があって興味深かった。つまり相手次第で描き分ける器用な画家だった。その点は、先日東近美で見た竹内栖鳳の緊密な画面作りとは大違いだ。
新美で見た40メートルの絵巻《生々流転》も、そうした演出ぶりの一つだったのだろうか。そう考えると《雲中富士》の青い富士山も、どこか芝居じみた感じがする。これからカタログを読んでゆっくり考えたい。
いろいろ文句を言いながらも、横浜まで行って良かった。やはり昔の日本人は偉い。
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