そして、東京フィルメックスは続く:その(1)
今年も東京フィルメックスが始まった。カタログを手にして、その軽さに驚いた。啄木の「母を背負いてあまり軽きに」ではないが、ちょっとかなしくなった。40ページなのに広告は多いし。
オープニングは、林加奈子ディレクターのいつもの自画自賛過ぎる開会宣言(「映画人生をかけて選びました云々」)に続き、ジャ・ジャンクー監督の『罪の手ざわり』。上映前にこの映画のプロデューサーとして市山尚三氏が出てきて、笑ってしまう。
彼はこの映画祭のプログラミング・ディレクター、つまり選考責任者。そのオープニングに自分が製作した映画を上映するのは、いくらいい作品でもどうだろうか。それを言ったら、この映画の上映前にたけし関係のCMが何本も流れるのもいつものことだが気にはなる。この映画祭にはそんな自画自賛というか、マッチポンプ的なところがある。
それでも『罪の手ざわり』は傑作だった。冒頭、バイクに乗った男が、襲ってくる若者たちを銃で打ちのめすシーンからぞくぞくしてしまう。広大な自然とモダンさ、リアリズムと様式美が交じり合った、この監督特有の匂いがぷんぷんする。
映画は中国の4つの場所の4つの物語を描くオムニバス。最初は、地方の炭鉱をめぐる汚職に我慢がならない男の話。主演は昔よく中国映画に出ていたジャン・ウー(姜武)で懐かしい。遠くに5本の煙突が立つ荒野を走り、銃を持ってガンガン殺すのは、まるで西部劇みたい。
第二話は謎の三男が田舎に帰ってきた話。大晦日にヤクザの喧嘩に巻き込まれ、花火が鳴る下で殴り合いをする。それから人を殺し、去ってゆく。
第三話で、この監督にいつも出てくるチャオ・タオが出てきて、嬉しくなる。彼女は愛人を演じているが、その妻にいじめられ、さらに勤め先のマッサージ店で金持ちに馬鹿にされてとうとう切れる。小さなナイフを振り回すさまが、まるでカンフー映画みたい。
第四話は、仕事を転々とする若者の話。衣服工場をやめて友人に紹介されたコスプレバーで、ある女性を好きになるが、これまた痛切な終わりが待っている。
最後にもう一度チャオ・タオが出てきて、何となく全体がつながる感じになる。すべて実際に起こった事件を元にしたらしいが、私にはそれぞれの場所の土地勘がないのが残念。それにしても、現代社会をこれほどの映像の到達度で描く監督は、めったにいない。ジャ・ジャンクーの快進撃は続く。
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