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2013年11月30日 (土)

懐かしの高田馬場

今年になって早稲田大学でも非常勤講師として教えることになり、高田馬場や早稲田周辺を久しぶりにうろついている。かつて1年だけそこの大学院に通っていたが、その頃の記憶が今になって次々に蘇る。

最初は武蔵関という西武線の駅の近くに住んだ。生協でアパートを探し、自分より年下のバイト学生に連れられて見に行った。トイレとシャワー付きの1Kで、確か4万7500円だったと思う。窓が小さく、独房のような部屋だった。決めた後に、その学生に駅前でラーメンをご馳走した。

再度上京したのは3月30日で、その日の夜に友人のYさんの結婚式の二次会に出た。乃木坂のカフェバー(懐かしい呼称!)だったが、先日亡くなられた梅本洋一さんが私が指導を受ける予定の先生をこき下ろしたのを鮮明に覚えている。

12月くらいまで武蔵関に住んだ。大学院の授業は午後からなので、朝起きるとシャワーを浴びて本を読んでいた。昼頃に高田馬場に行って、歩いて古本屋を見ながら早稲田まで行った。その多くは今はない。当時あった和菓子屋や小料理屋もない。コンビニやファーストフードやチェーンの居酒屋になってしまった。

その年の夏休みは、7月からフランスに行った。パンテオン寺院の裏のムフタール通りにあった友人のアパートを借りて住んだ。国立映画学校の試験を受けるためだったが、2次試験で落ちてしまった。10月頃、傷心の思いで帰国した。

試験を受けている頃に知り合ったフランス人女性のMさんが、1月になると東京にやってきて一緒に住むことになった。そのために新しいアパートを探して、高田馬場に住みことにした。長屋のような不思議な2階建てアパートの一番奥の部屋だったが、先日行ってみたらもうその建物はなかった。

さすがに親からの仕送りではきつくなり、3月に就職試験を受けたら通ってしまい、4月から働くことになった。5月の連休には、その職場の借り上げマンションが行徳に空いたので移った。2LDKでずいぶん広いのに1万円ちょっとの家賃だった。フランス人女性は、そこについてこなかった。

たった4カ月だけ住んだ高田馬場だが、週に1度バスで通るたびに当時の記憶が何とも鮮やかに蘇る。

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