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2013年12月 6日 (金)

久しぶりのモーツァルト生演奏

昨日、私は美術にくわしくないと書いたが、クラシック音楽はもっと知らない。コンサートに行くのは、友人が出ているとか、チケットが余ったとか、招待券をもらったとか、そんな時ばかり。

先日、大久保の淀橋教会でモーツァルトの「レクイエム」を聞きに行ったのも、知り合いがチェロを弾いていたからだ。この教会は初めて行ったが、韓国料理店などが並ぶ大通りに忽然と巨大な建物が現れる。

中に入ってさらに驚く。1000人はゆうに収容できそうな大ホールだったからだ。丹下健三設計の目白の聖マリア大聖堂ほどシャープではないが、天井が高く、木を組み合わせた建築は心地よい。プロテスタントの教会らしいが、こういうところで宗教音楽を聴くと、すぐに信者になりたくなる気がする。

コンサートの演奏と合唱は、「モーツァルト・アカデミー・トウキョウ」というオーケストラと合唱団。古楽器演奏なので、最初は違和感があるが、それがだんだん良くなる。「レクイエム」の前に「聖体の秘蹟のための連祷」という曲があって、こちらは少し退屈したが、「レクイエム」になると俄然盛り上がった。

実を言うと、高校生の時に最初に買ったLPレコードは、バッハのブランデンブルグ協奏曲で、次に買ったのがモーツァルトのこの曲だった。クラシック音楽を聞きはじめたのは田舎にしては早かったと思う。中学生頃にはNHKFMで、バッハを聞いていた。

「レクイエム」は、大学生の頃レコードが擦り切れるほど聞いたので、今でも曲を覚えている。今回聞いて、古楽器の素朴な音が新鮮だったし、ソロの歌の部分は歌手がいつも交代して分担しているのもいい感じだった。

歌の部分はラテン語と日本語訳の歌詞が配られたので、それを追いながら聞いたが、かつては一度も歌の内容を考えたことがなかったことに気がついた。大学生の時は仏文学専攻はラテン語が必修で、いくらかラテン語も理解できたはずなのに。

ラテン語はもちろんフランス語やイタリア語に近いので、今ならところどころわかる。それをフムフムとわかったふりをしながら、体に沁みついた曲を解読してゆく感じが、何とも楽しかった。

ところで、今の大学でラテン語を教えているところはほとんどないだろう。80年代までの日本の大学にあった教養主義は評価すべき点が多い気がする。キケロの演説をやみくもに暗記させられた思い出は、今となっては悪くない。

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