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2013年12月 1日 (日)

小津没後50年:その(3)

『ユリイカ』の臨時増刊号「総特集 小津安二郎」はおもしろい。なかでも、蓮實重彦氏と青山真治監督の対談を読むと、いわゆる「ハスミ節」が健在でうれしくなってしまう。

「ハスミ節」の一番の特徴は、かつて「お経のような」と言われたあのわかりにくい長い文体ではなく、映画評論家や映画研究者などのプロの分析をことごとく否定することだ。ここでは小津好きのプロを叩き斬る。

まず槍玉に挙がるのは、英国の『サイト・アンド・サウンド』誌の監督たちの投票で『東京物語』が一位になったこと。

「冗談じゃない、小津はそう文化的に梱包されるようなやわな監督ではない」「じっと胸に手を当てて考えるまでもなく、えっ、小津安二郎のほうが、ディヴィッド・W・グリフィスよりも偉いのと驚かざるをえない」

「本当に溝口健二よりも小津の方がすごいのかと、個々に詰問して廻らざるをえませんね。あなたは本当に『近松物語』や『西鶴一代女』を見た上で、『東京物語』をえらんだのか、と」

「お前たち、ムルナウを見ていないのかと。アンゲロプロスと小津といえばこれは躊躇なく小津を選びますが、ムルナウか小津かと訊かれたら、絶対ムルナウでしょう、客観的に見ても」

自分で1983年に小津の本を書き、それは外国語に翻訳されて世界的な小津ブームのきっかけを作ったのに、小津が流行りだすとこのような発言をするのが「ハスミ節」の真骨頂だろう。

彼は最近出た『蓼科日記』を「映画とは金輪際関係のないものでした」と言い、田中眞澄氏の注の1つの不備を徹底的に攻撃する。では、彼以外の誰がこういう仕事をできるかと私は思うけれど。あるいは山田洋次の『東京家族』を酷評する。

そして突然、日本人はもっと外国の監督を論じるべきだとして、三浦哲哉氏の『サスペンス映画史』や四方田犬彦氏の『ルイス・ブニュエル』を擁護する。その理由は「小津を日本映画としてではなく、映画として誰かに論じて欲しいのです。日本映画について細かいことばかり指摘し、読めばそれなりに面白いはいくらでもありますが、どうも映画の現状に対する刺激にならない」からのようだ。

それにしても小津を論じると、どうしてこんなにヒステリックになるのか。そんな現象をクールに分析した拙文が昨日WEBRONZAにアップされたので、ご一読を。藤崎康氏の『ユリイカ』特集号の批評も読める。

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