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2014年1月12日 (日)

卒論をめぐって

芸術系の大学では、卒業制作や卒業論文を出さないと卒業できない。私は大学で映画の理論系を担当しているが、先週末が卒論の提出日だった。ここに至るまで、毎年それぞれの学生とのドラマがある。

今年私が担当した学生テーマは、ヴィットリオ・デ・シーカ、マルセル・カルネ、クリント・イーストウッド、ジャン=ピエール・メルヴィル、ダグラス・サーク、フリッツ・ラング、F・W・ムルナウ、D・W・グリフィス、大島渚、清水宏。このうち1名を除いて、無事提出した。

かつてはテーマに「弁士」とか、「ヌーヴェルヴァーグ」「ミュージカル映画」「吸血鬼映画」などあったが、こうした大きな題材は失敗に終わりやすいので、最近は勧めない。現存する監督も推奨しない。先行研究が少ないので、自分の感想に監督のインタビューを合わせた、平凡なものになりがちだから。

考えてみたら、私が大学生の時は、卒論の授業はなかった。6月頃テーマを出して、1月に実物を出すまで、教師の指導は一切なかった。1980年代の地方の国立大の話だが。とにかく今私が教える大学では、週に1度指導の時間がある。最初の頃は担当する学生全員と会うが、しばらくすると2、3週間に一度ずつ個人指導をする。

まるで歯医者のように、1人30分ずつ。テーマが決まらない学生は6月くらいまでかかる。何についてどう研究したいのか聞いているうちに、テーマが決まってくる。書けなくて、9月頃にテーマが変わるケースも。

テーマが決まったら、その監督や映画についてこれまで書かれた資料を探す。いわゆる先行研究の調査で、戦前の映画雑誌を端からめくる学生も多い。この調べる作業をおもしろいと思うか退屈と思うかで差が出る。

そして先行研究を踏まえたうえで、自分の論点を示す。今までになかった新しい見方が少しでも出せたらまず成功。あとは文章力で、読ませる工夫をする。

卒論がそれまでの課題と違うのは、テーマを自分で探すことと、単なる解説ではなく自分なりの視点を出すことにある。それは初めてのことなので、学生によっては全く進まなくなる。私とのアポの直前に「体調が悪い」と連絡が来ることもしばしば。それでもなだめすかして、何とか原稿用紙100枚を書かせる。

だから卒論指導というのは、指導する側にとっても本当につらくてめんどうだけど、それが楽しくもある。

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